5月

                         5月のやぎの歌
 
                里山に月が出た 満月
                木のてっぺんに月が出た つきさされた月
                沼に映って月が出た ふにゃふにゃの月
                ヤギのせなかに影がさす
                 オニのツノ テングのハナ ヌラリヒョンのミミ スダマのクチビル
                光があたって影がさす
                 ひと声さけぶヤマオロシ
                 くらい夜 ふかい闇
                ボクはうれしい いのちがあるんだ
                ボクのいのちはボクのもの
                腹の底からベーとなく
                闇がすいこむ
  

 
虫の影
 
 あんなにさわやかだった空がくもりはじめ、あんなにさわやかだった風がしめってきて、とびっきり上等だった季節が終わりかけています。サクラはずっと、朝も昼も夜も、さわやかな気分でいたのですが、今はすこし、ゆううつになってきました。いつか満月の夜、自分の影を見ながらステップをふんだっけ、小鳥が目ざめる前のすきとおった空のしずけさに胸がドキドキしたっけ、そんなことを干し草をかみながら思っています。
 小屋の前には、雨の季節を予感して巣を引っ越すアリの2すじの行列ができていました。ちいさな赤いアリが何列かたえまなく歩いていきます。
 小屋の前に走り込んできたのはミノルでした。ブルーのパーカーと白い半ズボンがよく似合います。ところが、ミノルは突然、カッとするような気持ちになってアリをふみつぶしはじめました。ふと気配を感じて後ろを向くとスズキ先生が立っています。どなられる、と思って身がまえたミノルを見下ろして、スズキ先生はだまって行ってしまいました。担任のオガワ先生が来るかもしれない、そう思ってミノルは、また、逃げだしました。アリの行列はなにもおこらなかったように続いています。  
 明日から学校のキャンプです。ミノルはいやだなあと思っています。勉強するよりずっといいという友だちも多いのですが、2日間もみんなと先生と朝から夜まで一緒にすごすのはなんか気がおもい、きっとイヤな場面がいっぱいあるでしょう。自分が自分でなくなってしまうような気になるでしょう。ただ、その気持ちをミノルはうまく説明できないのです。
 サクラはオガワ先生のことをあまり知りません。サクラの小屋に来ない先生も何人かいます。顔を見、目を見、言葉をかわせば、サクラにはたいていのことが分かるのですが、うわさだけではその人はわかりません。想像してみるオガワ先生はがっしりした、目鼻の大きい、こわい顔をした先生です。お人形さんのように小さくかわいいミノルをびしびししかっています。もっとかわいがってやればいいのに、と思いました。
 「キャンプになんか行きたくない、逃げちゃおうかな」
 ミノルは学校に隠れ場所をいくつももっています。みんなにさがされても見つけられない自信があります。中でも給食室のコンポストのかげがお気にいりで、機械がブルブルと振動し、いろいろな食べ物が発酵していく複雑な匂いをかぐと気分がおさまります。
 「だめだよ、キャンプに行かなくちゃ」
 そんな声を聞きましたが、まわりを見回してもヤギしかいません。
 「いやだからってやらないと、いつまでもいやなままだよ」
 こっそりつぶやいていたのはサクラですが、ミノルにすっかり無視されてしまいました。

 つまり、それはリクツなんです。そう言われるといよいよイヤになるのがミノルです。昔はこういうのを天邪鬼と言いました。一生、アマノジャクでのまま過ごす人もいれば、ある時、心の中からアマノジャクを追い出して、すごくつきあいやすくなる人もいます。ミノルはどちらでしょう。サクラは目をこらして、じっと見ていたのですが、ミノルはプイと行ってしまいました。人間には心と頭をつなぐケーブルがあって、それがサビついてくるとだんだんアマノジャクになってきます。いい心の持ち主なら、頭と心が多少ずれていても、みんなを楽しませてくれますが、ひがんだり、ヤケになったりして悪い心が育ってしまうと、とんでもないイヤミな人になります。それは大変でみんなの迷惑になります。ミノルがどっちになっていくのか、サクラはたいへん心配しています。
 ふみつけられたアリたちはきっとなにも思っていないでしょう、乾いた土から熱気かユラユラ立ち上っています。
 オガワ先生が探しに来ました。腹だたしそうに足踏みしたので、また、何匹かアリがつぶされました。
 「まったく世話のやけるヤツだ」
 予想とはちがって、ほっそりとした色の白い小さい人でした。   
 「明日がキャンプなのに教室をぬけだしてしまって、また、みんなに迷惑をかけるんだ」
 また、いらいらとアリをふみつぶすとあわててどこかへ行ってしまいました。
 「おや、わすれものですよ」サクラが言った言葉も耳に入りません。

 アマノジャクはどこにもひそんでいるのですが、アマノジャクなので気まぐれです。最初からこの様子を見ていた小さなアマノジャクがいました。階段の石の間からひょいと飛び出すと、なにか思いついたのでしょう、砂場遊びをするように死んだアリをあつめて丸いおだんごをつくりました。フクロからゴキブリの羽とカメムシの臭いを取り出しておだんごに塗りつけました。
 「飛ぶ練習をしなくっちゃね」
 それは無理でした。アリは決められたことはできますが、新しいことは覚えられません。アマノジャクはしばらく考えて、呪文をとなえました。「夢の中でひらけ」小さな球を先生の忘れていったしおりの「就寝」という文字に封じこめました。さあ就寝になると大変だぞ、アマノジャクはうれしくなって自分も「就寝」という文字にすいこまれるようにもぐりこんでいきました。
 見ていたサクラは心配になりました。
 こんなことが予想されます。時間になってオガワ先生が「就寝」と号令をかけます。すると呪文がとけてアマノジャクは文字からぬけだします。もちろん、たくさんのアリ、それもゴキブリの羽とカメムシの臭いを持つ大集団が一緒に現れます。そのあと何をするか、相手がアマノジャクなので分かりません。サクラはふと、考えました。誰がアマノジャクを呼び寄せたのでしょう、第一番に考えられるのはミノルですが、アマノジャクはオガワ先生についていったのです。もしかするとオガワ先生がものすごいアマノジャクなのかもしれません。
 アマノジャクはアマノサグメという女神でした。アメノワカヒコと言う神様に仕えていました。アメノワカヒコが天の神様にさからって戦いを始めた時、アマノサグメは予知する力を発揮して、おおいに戦ったのですがとうとう負けてしまい、追放されました。それ以来、人にさからったり、意地悪をしたり、ひねくれたりしてうれしがる、うっとおしい神様になりました。

 予想に反して翌日はいい天気になりました。5年生を乗せたバスは予定どおり校外学習に出発しました。さんざんぐずったミノルもバスに乗っています。
 キャンプ場は谷間にあります。十人ずつ泊まる丸太小屋がならんでいて、川の音が絶え間なしに聞こえます。
 まず、ミノルはオリエンテーリングではぐれました。チョウチョを見ていたら、みんながサッサと行ってしまったので、しかたなく次のグループの後を歩いてこうとしら、来るなよと言われてキレて林の中で座りこみました。そして探しに来た先生にみつかり、ひどく怒られました。でも本部に戻ったあとにはオガワ先生から、その百倍も怒られました。
 部屋にもどって、すぐお茶を飲んだら、むせてしまってあたりをお茶とツバだらけにしてしまい、みんなにいやがられました。よろけて女の子のリュックをふんで、大事にしまっておいた手作りクッキーを粉にしてしまいました。
 ハンゴウ炊飯ではザルをひっくりかえしました。ジャガイモとニンジンがぜんぶ地面に落ちてしまったので、できあがったカレーは灰と土とほこりの隠し味がついていました。
 アマノジャクはそんなことは知りません。オガワ先生のしおりの中の「就寝」という文字の中でいい夢をみていました。もうすぐ先生が「就寝!」と言うよ。すると一斉に電気を消して暗やみになるんだ。どこからともなくブーンという羽音が聞こえるよ。変なにおいがするから、だれかがまくらではらいおとすよ、そあ大変だ。アリのどしゃぶりだ。
 オガワ先生は本部でまだ、ミノルにお説教しています。
 「トイレに言って歯をみがいてパジャマに着替えてから本部に来い。みんなの健康手帳を集めてもってこい。おまえは1日中、みんなに迷惑をかけたのだから、反省会できちんとあやまれ。バツとしてお菓子をとりあげるからリュックを持ってこい。」
 こんなにいっぺんに言われてはミノルはなにをしたらいいのかさっぱり分かりません。けっきょく何もしなかったのでオガワ先生にまた呼び出されたのです。
 ミノルはぜったい「ごめんなさい」とは言いません。オガワ先生もミノルが「ごめんなさい」と言わなければ寝かさないぞと決めています。就寝時間はとっくにすぎたのに2人はずっとにらみあいをしています。夜のふけるしんしんという音が聞こえそうです。
 アマノジャクは目をさましました。ずいぶん遅い時間です。ところが目覚まし時計のかわりをしてくれる「就寝!」という号令は聞こえません。そこでこっそりぬけだしてみました。目の前には2人がにらみあいをしています。アマノジャクはアマノジャクですから怒っている人を見ると笑わせたくなります。ふところからワライタケのパウダーをとりだしてオガワ先生にふりかけました。
 ミノルはびっくりしてふるえあがりました。オガワ先生がニヤリと笑ったのです。たいへんだ殺されるかもしれない、おびえて真っ青になったミノルは部屋から飛び出そうとしました。アマノジャクはすかさずミノルにパウダーをかけました。とたんにミノルはワッハッハと大笑いしました。
 今度はオガワ先生がとびあがるほどびっくりしました。あんまり緊張させたので頭が変になったのかもしれない。2人とも顔は笑っていますが、心の中はメチャクチャに混乱しています。
 アマノジャクは大喜びです。こんなのが大好きなのです。アリを出すなら今がチャンスなのですが、「就寝!」という号令がかからないので、それはできません。アマノジャクは他人にはさからいますが、自分できめたことはがんこに守ろうとするのです。
 オガワ先生は笑いながら逃げようとするミノルを呼び止めました。ミノルはこわくてゾクゾクしながら、早く行けと言われたように思いました。オガワ先生は気味悪くてゾクゾクしながらリュックを置いて行けと手マネをしました。ミノルはリュックを忘れるなと言われたと思って、あわててひっつみました。こんなトンチンカンなことがアマノジャクの大好きなパターンです。
 オガワ先生はどうすることもできず、笑い顔のままでとりのこされました。アマノジャクが息を吹いてパウダーをはらいおとすと、みるみるうちにオガワ先生の顔は怒りに引きつりましたが、もうどうすることもできません。ポツンとすわっているのがバカらしくて、わけのわからないまま、ベッドにころがりこみました。しかし、ケジメをつけないままでは眠ることもできないオガワ先生です、元気がでるように自分に号令をかけることにしました。
 「就寝!」
 みんな眠っています、だれもこの号令を聞きません。黒いかたまりはオガワ先生ひとりに襲いかかりました。
 ギャッ
 その時、窓からいくつもの黒い影がヒラヒラ飛んできて、とびちった黒いつぶつぶを吸いこみはじめました。たくさんのコウモリです、あっというまにアリをすいこんで飛び去っていきました、その速いこと。

 サクラに頼まれたコウモリは山の洞窟から一気に飛んで来たのです、コウモリの超音波はずいぶん遠くまで届きます。
 しかしアマノジャクはじゅうぶんに楽しみました。そして自分に就寝!と号令をかけてしおりにもぐりこみました。
 翌朝、オガワ先生は現れませんでした。急に熱を出してと説明されましたが、みんな知っています。虫さされでふくれあがった顔を子どもたちに見せたくないからです。
 ミノルは楽しく1日をすごしました。そしてキャンプもいいものだと心の中で思いました。

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