八月のヤギのうた
銀杏の木
あなたの影がわたしにそっとちかより
ひとときわたしをまもってくれる
木はゆるがない 木の1日はながい
朝は春 昼は夏 夕べは秋 夜は冬
銀杏の木
あなたがかたい殻の中で目覚めた時から
思えばわずかな日がすぎただけ
土から知り 風から知り 水から知り
土をきよめ 風をきよめ 水をきよめ
小さなヤギをいやしてくれる
はげしくもえる太陽
影さえうごかない
銀杏の木
サトリ
お盆。学校にくる子どもがいなくなりました。しんと静まった校庭では草ののびる音がきこえるようです。ムクゲの花が散っています。真ん中にイチゴ色のぼかしがある白い花で、アイスクリームのようにおいしそうです。が、よした方がいい、変な味がします。人がいなくなるのを待っていたように男の子が一人小屋の前にあらわれました。
「ヤギ 暑いよ」
まったくそのとおりですという思いをこめてサクラもベーとなきました。サクラは暑いとビンボウユスリのように体を前後に揺すります。
「ヤギ つまんないよ」
まったくそのとおりですという思いをこめて、今度はベーベーと2回なきました。
「ヤギ どうしたらいいだろう」
紺色のTシャツにオレンジの半ズボンをはいた目の大きな子です。
返事をしようとしてサクラは、はっとしました。今、言葉を使って会話をしていなかったことに気づいたからです。それでサクラは、あなたの言うことがよく分かりますよというように強くベーとなきました。男の子はしゃべろうとしない子でした。
「ヤギ とうちゃんに会いたいよ」
サクラは四角いねむそうな目を思わず丸くして、男の子を見ました。4年生のサトルです。一瞬のうちにサクラはわかりました。かあちゃんは仕事でいそがしいし、とうちゃんはいなくなってもう1年だし、一人っ子のボクはだれからも声をかけてもらえない。だれとも話をしない日が何日も続いて、話なんか、もう、しなくてもいいんだと分かってきて、自分に声をかける相手に話をさせないような方法も身につけて、つまり、ポカンと口をあけ無表情な顔を相手に見せるワザ、それでようやく安心できたのです。そうしたら、たまらなくさびしくなって、まわりのものを見るのがいやになり、自分がどんどん小さく固まっていく気がしてきました。とうとうだれかに助けてもらいたいという気持ちが生まれたんだ、サクラはムフーと小さく息をもらしました。
「ヤギ またくる」ちょいとまちなよ、とサクラが鳴いた時にはサトルは走りはじめていました。
理科室ではカーテンごしにガイコツがぶらぶらゆれているのが見えます。保健室では歯だけの口がゲラゲラ笑っています。セミだけが元気な夏の午後です。
学校の西側の土手の中ほどに小さいカエルの形をした石があります。けとばしても動きません。地中をプラズマ光線のようにうねりまわる穴がいくつも土手にのびていて、カエル石はそのもっとも大事な出口でした。プラズマ穴は地上からいろいろなものを吸いこんで、根っこに住みついているモノにプレゼントしてくれます。住みついていたのはサトリというモノでした。
昔、地上にいたころのサトリは相手の心の中をよむ名人でした。そして仲間がたくさんいました。友だちの一人は、みちのくの山奥で道にまよった旅人を食おうとして、相手の思っていることを次々に当てていきました。もうだめだと旅人があきらめ、サトリがさあ食おうと思った時、突然、たきびがはね、ひどくやけどをしてひどい目にあいました。友だちの一人は悪い人間に出会って、自分の本当に考えていることとは逆の言葉をわざと心の中につぶやいているのをうっかり信じてしまい、ついにやっつけられてしまいました。しかしサトリは怖ろしい妖怪です。このサトリも地中にもぐってからずいぶん月日がたちます。考えるより先に口に出してしまう人間がふえて、心の中のつぶやきが聞こえなくなり、やる気をなくして地中にこもったのです。
プラズマのような穴は地中をゆれうごいて理科室の前にセミの穴ほどの出口をつくりました。以前、サクラはその穴にとびっきりのフンをおとしこんでサトリをギャッといわせたことがあります。サトリはヤギのフンのにおいと味をぜったい忘れません。
サトルは穴をのぞきこみました。
「あれ、なんだろう」
「…………」
思ったことをサトリはすいこみました。おなじことを何回も心の中でつぶやいて考える習慣をもっているサトルはびっくりしました。心の中でつぶやいていた言葉が、とつぜん、なくなってしまったからです。あわててあたりを見回しました。誰もいません。そこで、見たものを次々に思ってみることにしました。
「ここは理科室だ」
「学校にはだれもいない」
「せみがないている」
言葉は次々に消え失せてしまうのであせりはじめました。思わずいつも心の中でつぶやいている例の言葉が出てしまいました。
「父ちゃんにあいたいよ」
この言葉はサトリにとってとびっきりのごちそうでした。何千回もサトルの心の中でくりかえされたこの言葉は、たっぷり味がしみていてジューシーでたまりません。おもわずサトリは「しあわせ」と声を出してしまいました。穴をさかのぼってきたこの言葉はサトルの心の中を明るく照らしました。
「しあわせ」
とつぜん、サトルは怒りでいっぱいになりました。これくらい、今のサトルの心をそこねる言葉はありません。
「ちがうよ」
サクラの目はまたまん丸になりました。これは声に出た言葉だったからです。しかし、この一声だけでした。
しあわせなんてウソだよ。まちがってる、そんなのイヤだ。ボクをバカにするなよ、説明できない気持ちで、ただ足をバタバタしてサトルは心の中で「わあ」と叫びました。
これはサトリにとっていやな味でした。第一、その「わあ」というのがどんな意味なんだか、ちっともわかりません。
もともとサトリはおせっかいで好奇心のかたまりでしたから、地上でなにが起こったのか知りたくてたまりません、いてもたってもいられなくなりました。しかし、今、吸い込んだ思いには、少しずつヤギの匂いがついているのです。サクラもサトルの心をのぞき込んでいたので、自然と匂いがしみこんでしまったのです。サトリはなんとしてもヤギのいるところに行くのはいやでした。自分のきれいな部屋をフンだらけにされたのですから、きちょうめんで神経質なサトリにはたまりません。
そうだ、あの子を引きずり込んじゃおうと思いました。じゃまの入らないところでじっくり聞きだそう、その後が楽しみだ。プラズマ穴は自由にうねってサトルの足もとに口を開くと、あっという間にサトルを吸い込んでしまいました。
そこはまばゆいばかりにきれいな部屋、でもよく見るとサトルが本当に長い時間を過ごしている自分の部屋です。机とか本棚が新しく見えるので部屋全体がキラキラしています。椅子に後ろ向きに誰か座っています。サトリは相手のイメージどおりに場所や姿を変えることができるのです。
サクラは何か変なことがあったのを知りました。ところが様子を見てもらおうにも、この真昼間、だれもいません。しかたないのでちょうど電柱にとまったカラスに頼みました、しかし、カラスはお礼をたっぷりとるのです。カラスはさっと飛び立つと、クツを片方、くわえてきました。「だれもいないよ、これがあった」たったこれだけの仕事にカラスはヤギの毛20本も要求したのです。まあ仕方ない、カラスの赤ちゃんが寝ごこちよくなるのですから。
サトルの心の中の思いは父になり母になり自分になり目まぐるしく変わります。さすがのサトリも頭がいたくなりました。
「父ちゃんをかえせ」
サトリはびっくりしました。これは複雑な味のする思いでした。よくかみしめて、必死に味をさぐってから、ようやくサトリは言いました。
「父ちゃんなんかいらない、と思っているな」
今度はサトルがびっくりしました。
「父ちゃんがいなくなったのは自分のせいじゃないと思っているな」
「母ちゃんのせいでもないと思っているな」
「おれはわがままじゃないと思ったな」
「おまえはだれだと思ったな」
だんだんサトルは追いつめられてきました。こうなるとサトリはうきうきしてきました。こういう展開が大好きなのです。次に誰かに助けをもとめて、次にもうだめだ、食われてしまうと思えばサトリの勝ちなのです。
「どうすればいいだろうと思ったな」
ついにサトリは身をのりだしてきました。キバがニューと伸びて、目がギラギラ光って、色が真っ黒になりました。それが相手を脅かす昔ながらの変装でした。さあ今だとサトリは思いました。もうだめだと思ってくれればいいのです。
その時、サトリは透明ガラスにどんとぶつかったようになりました。見えているのに、その先には行かれない、サトルが心を閉ざしたのです。
無表情な目、うつろな口を見て、水をかけられたような気持ちでサトリは叫びました。
「こりゃなんじゃ」
「こりゃなんじゃ、こりゃなんじゃ、こりゃなんじゃ、こりゃなんじゃ」
サトルの心は相手の言葉をくりかえすだけです。
「おい」
「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい」
「わけがわからん」
「わけがわからん、わけがわからん、わけがわからん、わけがわからん」
サトリはあせりました。こんなのは初めてです。サトリがつぶやくたびに、こだまのように同じ言葉が返ってきます。底なし沼にふみこんだような感じになります。さっきまでのこわい顔はなくなって、目を大きく開いて、口をポカンとあけて、感情をなくした顔になりました。
自分とそっくりの顔が目の前に現れて、サトルは鏡を見るようにのぞきこみました。その時、少し気がやわらぎました。こまりきっていて、みじめっぽい様子がおかしくなったからです。サトリは救われました。
ふっとあたたかい気持ちになって自分からつぶやいていました。
「父ちゃんはサトルにあいたいと思っているよ」
「……………」
「父ちゃんは母ちゃんに会いたいと思っているよ」
「……………」
地中のプラズマ穴はすごい勢いで動き回って、お父さんの居場所をさぐりあてていました。この暑いのにネクタイをしめて、道を歩いていたお父さんは、ふとめまいを感じて立ち止まりました。
「父ちゃん、サトルに会いたいと思っているよ」
「……………」
「でも今はだめ、まだ会えないと思っているよ」
「……………いつ」
「いつか……………」
「……………いつ」
「お母さんとサトルが仲良く、お父さんをむかえてくれる日」
「……………証拠」
「……………これ」
それは銀色の小さなかたまり、ライターでした。お父さん、まだタバコをすっているんだ、お母さんがダメだといって、よくケンカしていたな。ちょっとサトルは笑いました。サトリも笑いました。
「これをなくしたお父さんは、どうなると思う?」
お父さんが、そのライターを大切にしていたのはプレゼントだったからです。ある女の人から。それを知っているお母さんはがまんできなかったのです、お父さんがまだその女の人を思っているから。
「タバコも思い出もすてるよ」
「タバコも思い出もすてるよ、きっと」
サトルの顔に笑顔がもどりました。
サトリがどこかにいることがサトルにはわかっています。自分とそっくりの顔をしてどこかにとじこもっています。サトルは自由です。サトリのようにとじこもっても、サトルのように走りまわっても自由です。よくやったね、サクラは言葉をかけました。
「自分のつくったガラス箱だけれど、自分で自由に出入りすることができるようになったね。でも、人前ではあんまりへんな顔はしない方がいいよ」
飛ぶ力を失ったセミは地面にあおむけに倒れて足をバタバタさせています。サクラは、もう命が終わるんだからそっとしておいてやろうと思いました。しかしサトルは思いました。まだ飛べるかもしれない。そっと手でつつんで空に向けて放ちました。セミは飛んでいきました。
サクラはちょっと安心して眠そうに目を細めました。
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