6月

                             6月のやぎの歌
          
                        野山はみどり
                        風はしめってあたたかく
                        あまい水、天のしずくがふりかかる
                        草はどんどんのびるのに
                        ヤギは一日、小屋の中
                        クワの葉も、ミゾハギの葉も
                        一刻一刻のびていく。
                        さわさわさわさわのびていく
                        それなのに 
                        わたしは小屋で思うだけ
                        葉っぱの先のやわらかさ

 
 
 キシボジン 
 
 梅雨が始まって毎日、音がしない雨が降り続いています。なにより困るのは小屋がしめっていやなにおいがすること、あちこちにカビが生えることです。気持ちがうっとおしくなるうえに、夏を前にして毛がぬけはじめます。体がかゆい、首をのばしてツノでこすっても、どうしてもとどかない所があっていらいらする、まったくこの季節は困りものです。
 スギの木のカラスの子もずいぶん大きくなって、声がしっかりしてきました。ついこの前、弟が巣から落ちて(サクラの考えでは兄さんに落とされて)親をがっかりさせたばっかりなので、サクラも注意してカラスの子の声を聞いています。
 ギャアガッガア
 今のは、リスが走りまわったのにびっくりして、おかあさんを呼んだ声でした。
 「タマシイってなんだろう」サクラはイチョウの木にたずねました。
 「タマというのは丸くて、ツヤツヤとかがやいているものだ」
 「シイは?」
 少し不自然な間がありました。
 「つまり、たのしいとかうれしい、と言うのと同じで様子をあらわす言葉だ」
 うそばっかりとサクラは思いました。こういうのを「ヤカン」て言うんです。またはシッタカブリ。
 サクラはきのう、ひさしぶりの晴れ間に外に出て、草を半日食べ続けたのでまだおなかがふくれています。食べた草を口にもどしてゆっくりかみなおしているうちに、またうとうとしてきました。こんな日はなんにもしたくない、ついにはめ板に頭をもたせかけて目をつぶってしまいました。
 リスがカシワの葉を1枚、落としていきました。このすこし太めのリスは手紙を運んでくれるいいリスなのですが、手紙が木の実に書かれている時は、困ったくいしんぼになってしまいます。たぶんいそぎの用ではないだろう、そう思って、サクラはまた、いねむりをはじめました。

 ギャッいたい、サクラは目をさましました。棒でつっかれたのです。3年生のサヤがキョウチクトウの枝を伸ばしています。よりによって一番きらいなキョウチクトウ、わざとやっているならこの子はかなり性格悪いな、サクラはそう思いました。フリルのたくさんついたピンクのおしゃれな服を着ています。ニヤニヤ笑っている顔がなんとなく意地悪そうです。イェイエイ、ちいさくつぶやきながら棒をつきだすので、むっとしたサクラはおしりをむけてざらざらとフンをこぼしてやりました。女の子はつまらなそうな顔になりました。
 「サヤねぇ、お母さんとけんかしちゃった」
 「だって、わたしのお母さん、つまらないんだもの」
 「サクラのお母さんって、いいおかあさん?」
 またキョウチクトウの枝をふりまわします。サクラはそっぽを向いて窓から一番はなれた所にひっこんでしまいました。
 「ちっとも、いい子いい子したり、だっこしたりしてくれない」
 「いっしょにいても楽しくない。あんなお母さんだいきらい」
 しかし、最後の言葉は少し声が大きすぎました。

 昔はこの里でもキシボジンをまつっていました。千人の子どもを毎日食べるというおそろしい女神様です。しかし、仏様とたたかって負けてから慈悲深い神様に変身しました。子どもが元気で育つようにずっと村の人はお祈りしてきました。だから愛情のない親と子は大嫌いな神様です。石の像は顔も手もすっかり風化してしまって、ただの石にしか見えませんが、大きな力の持ち主です。
 長雨で土から顔を出したこの石は、「お母さんなんか、だいっきらい」というサヤの言葉を石は聞き逃しません。
 サクラはプリプリしていたので気づきませんでしたが、身をゆすって土からとびだすときれいなお母さんの姿になってすべるようにサヤの方に歩いていきました。朝の7時30分、今日はほかの子どもはだれも、学校に来ていません。
 「しばらく見ないうちに、大きくなったね」
 サヤはびっくりしました。お母さんなのです。知らない女の人ですが、不思議なことにこの人は本当のお母さんだという気がしてきました。
 「今日はサヤに会いたくて学校に来たんですよ」
 「だって、さっき家で行ってらっしゃいしたよ、お母さんと」
 「あれはちがうの、わたしがほんとうのお母さんになってあげるの。そんなことはサヤが一番よく知っているでしょ」
 サヤは少しそんな気がしてきました。やっぱり、ほんとうのお母さんはこの人なんだ。今、わたしがお母さんと呼べば、この人がほんとうのお母さんになってくれるんだ。なんだかドラマみたい…あぶない気持ちも少し感じました。
 その時、サクラも気づきました、このあやしい姿はなんだろう。つきとめようとしてじっとにらんだとたんに、あっさりはねかえされてしまいました。なにしろ相手は年古りた石です、めったなことでは見破れません。
 実はその時、キシボジンもこまっていたのです。サヤが怒っているのを感じて取って現れたのですが、どうも少しまちがっていたようです。そこには実の子も母もいませんでした。
 サクラはふっと息を吹いて毛をふきつけました。そばに行くのと同じ効果があります。しかしキシボジンは気配を感じるとサヤの心をだきこんで石の姿にもどってしまいました。グランドに倒れているのはサヤの体だけです。
 サクラにはどうすることもできません。
 ちょうどその時、タカシが登校してきました。いつもサヤに意地悪されている男の子です。今日は髪の毛に寝ぐせがついて、しましまの服を着ています。ぶたれたりノートを破られたり毎日さんざんな目にあっています。そして、それをお母さんに知られると、今度はタカシがお母さんからいじめられます。根性なし、とか、ダメ息子、とかむちゃくちゃなことを言われます。
 倒れているサヤを見て、タカシは少しためらいました。何があったのか分からないし、ふだんからサヤはとてもこわかったからです。
「あっサヤちゃん、どうしたの」
 お母さんに助けてもらおう。その時、ふっと怒りがわいてきました。 
「どうしてボクのこと、お母さんはほめてくれないのかな。どうしてサヤちゃんの悪口ばかり言うのかな」
 今度はタカシの怒りを感じ取って、またキシボジンは姿を現しました。数限りない腕をおどかすようにヒラヒラさせて目を大きく見開き、赤い口には白い牙がガチガチ鳴っています。タカシは驚いてベッタリしりもちをついてしまいました。キシボジンは一歩ふみだしてタカシをつかもうとします、別の手にはぐったりしたサヤがつかまれています。
 「サヤちゃんだ」
 「この子は本当の母を求めているのだ。私があずかる」
 サヤが目をあけてさよならしているように手をふりました。
 キシボジンの怒りは千人の母親の怒り、こんなこわいものはありません。「すぐに誰かをよばなくては」とサクラはつぶやきました。でもどうしたらいいのでしょう。

 他の子たちにはキシボジンは見えません、ただ2人が倒れている姿だけです。教室にいた子が職員室に知らせたので先生がかけつけてきました。すぐに保健室に寝かせてお母さんに連絡をとりました。2人の母親はそれぞれこんなことを考えながら学校へいそいで来ました。
 「私の妹の子ども、妹が赤ん坊のサヤを置いて出ていってしまった時、私は怒って、その時は夢中でこの子を私は育てると誓ったけれど、今にしてみると本当にこれでよかったのか不安でならない。このごろサヤの顔を正面から見ることがこわくてたまらない。」
 「この子の父親と別れようとずっと思ってきた。タカシのせいで別れられない。こんな苦労をしているのに、この子は私の思い通りには育っていない。今ならこの子を捨てることができるかもしれない」

 タカシは必死の勇気をふるって恐ろしいモノに立ち向かいました。
 「サヤちゃんだめだよ」
 「こんないじめっ子はいない方がいいだろう。おまえも母親がきらいなら私といっしょに来い」
 タカシははげしく抵抗しました。足でけって、頭でぶつかって、ちょうど、いつもサヤがタカシに攻撃してくるのと同じようにあばれました。
 「サヤちゃんにそんなひどいことしたらかわいそうだよ」
 「毎日、おまえはやられているが、それでもいいのか」
 「だって女の人って時々ムチャクチャやるから、まもってやるんだよってパパがいってるよ」
 キシボジンも母でしたし、久しい間、神様でしたので、この言葉にはたじろぎました。もしかすると怒りにまかせてむちゃくちゃなことを自分もやろうとしているのではないか、自分はなにを怒っているんだろうか……。
 「サヤちゃんだめだよ、元気のないサヤちゃんなんかきらいだよ」
 サヤの気持ちの中に元気が少し生まれてきました。
 「どんなひどいことをしても、お母さんはいつか自分のことをかわいがってくれるんだよ」
 「だって、わたし、ずっと、まっているんだよ」
 「そうなんだよ、ずっと、まっているんだから、今、まつのをやめてしまったら、もったいないよ、そんするよ。手をはなせ、こいつめ」
 タカシのひじうちがきまってキシボジンは顔をしかめました。そんなに痛くはなかったのですが、2人の言葉にひるんだのです。
 「いいお母さんなんて、そんなにいないんだよ、ボクはふつうのお母さんでいいんだ」
 ほんとうにそう思っているのか、はずみで言っているのかキシボジンは2人の心の中をのぞきこもうとしました。2人は今度はカミツキとカカトケリをはじめました。
 「お母さんはごはんを作ってくれる、お母さんは洗濯してくれる、お母さんはおこずかいをくれる、お母さんは買い物してくれる。だからお母さん大好きだよ」
 そんなことあたりまえじゃないかとキシボジンは思いました。
 「お母さん、いそがしくてわたしと遊んでくれないけれど、かまってくれないけれど、やさしくしてくれないけれど、お母さんはお母さんだから好きだ」
 「お母さん大好きだよ。」
 2人は声をそろえて叫びました。
 キシボジンから力がぬけていきました。
 「お母さんのこといじめるとしょうちしないぞ」
 「お母さんの悪口言うとしょうちしないぞ」
 力のこもった大きな声で言葉を言うと、だいたいその言葉どおりになるものです。2人は本当にお母さんが好きだったことが分かってきました。
 「お母さん大好きだよ」
 キシボジンは手を離しました。2人のたましいは2人の体に戻りました。2人はケロッとして起きあがりました。心配していたお母さんはあっと思って目が熱くなりました。自分の心の中にこんなに子どもたちが深くくいこんでいたのかと、今、あらためて気づいたからです。ああ良かったと思ったとたんに涙がこぼれたのです。

 キシボジンはしょんぼりと小屋の所へ帰ってきました。
 「キシボジンもうひきあげなさいよ」
サクラが言いました。
 「昔は母親が子どもを愛して、子どもがそれに応えたものじゃが、今は逆だ。子どもが母親をしたって愛情をかけると、母親がそれに気づいて子どもをかわいがる、そんな時代なのかね、子どもの方が、よくわかっているんじゃね」
 「昔とちがって、いろいろなことがわかりにくい時代なんですよ」
 「しかし、人の心というものは変わらんじゃろ」
 そうだとも、そうでないともサクラは言いませんでした。ヤギの望みはただ一つ、おいしい草をたくさん食べること、でなければ死んでしまいます。人間にはいろいろな望みがあるようです。そして望みがなくなるのは人間にとって死んでしまうのと同じくらいつらいようです。
 「人の心は昔も今も変わりませんが、本当のやさしい心をまがいものとすりかえたり、ちがうものだと思いこませたりする恐ろしい力がたくさんあるんです」
 「わしはもう時代おくれかね」
 その言葉に哀しい響きがあったので、サクラはほっとして言いました。
 「そうです」
 言葉にはだしませんが、「親が子を思う、子が親を思う気持ち」はかけがえのないもので、それを「人が人を思う」気持ちに広げていくことができれば、今よりずっといい世の中になるんです、とつけ加えました。
 「いい思い出ができたわい、ヤギどんさらばじゃ」キシボジンはふところで寝てしまったカラスの子のたましいに目を注ぎました。
 あの日、カラスの弟はギャギャギャというリスの声にびっくりして、タマシイが飛び出してしまったのです。カラスの兄は動かなくなった弟にびっくりして、くちばしでつっいたら、つい力が入って弟を落としてしまったのです。はばたくようにフラフラ飛んでいたタマシイをカシワの木のてっぺんで空を見ていたスダマがつかまえました。しばらく、タマシイと遊んでいたスダマはすぐ、あきてしまってタマシイをカシワの葉の中にしまっておきました。カシワの木はこっそり、その葉を落として、リスにサクラのところまで運ばせたのです。しかしリスは忘れてしまって、ずっとそのままになっていたのです。サクラが、今、なにげなしにカシワの葉っぱを開くとカラスの子のタマシイが飛び出したのでびっくりしたところです。それをキシボジンは大事にかかえて石にもどりました。
 夜になって雨がふりはじめました。木々の葉や草はどんどんのびていきます。きっとこずえのスダマも雨やどりにくるでしょう。そうしたらつかまえて、思いっきりツノでヘッディングしてやろうとサクラは思っています。
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