7月のやぎの歌
鳴きはじめたばかりのセミは
鳥につれさられた
白く輝く土の上に
ひまわりの影がゆれている
樹々が根から水をすう
音がきこえるようだ
このジンジンする静けさ
突然
ヤギの心がふるいたつ
このツノで世界を
支配するのだ
英雄
かわいた
あこがれ
ツヅレサセ
夜明けが早くなりました。5時にはニワトリのワットが鳴きはじめ、続いてコジュケイが鳴き、スズメが鳴き、カラスが鳴き、さすがのヤギも目がさめます。水をなめながら、きのう食べた草をもう一回、かみなおしてハミガキのかわりにします。
両側のほっぺたをプクッとふくらませて、もぐもぐ口を動かしているのはお行儀悪いことですが、こんな時間はだれも見ていません。小さな声でベーとないて自分におはようのあいさつをしました。
夜のおばけは朝になるとひっこむのが決まりですが、今日はひっこみそこねた1匹が雨水のパイプにかくれていました。たいしたヤツではありません。花のミツをなめたり、草の実をかじったりする手足の細い黒い影でした。頭がコオロギのように丸かったので、仲間からツヅレサセと呼ばれていました。夜になるまでこんな所にもぐっていなければならないのは気のきかないことです。どこかに夜の闇さえあれば、もぐりこんでしまおうと思っていました。
今日、一番に登校したのは2年生のマドカでした。サクラは、おはようとマドカにあいさつをしました。しかし、マドカは返事をしません、そのまま通り過ぎてしまいます。感じ悪いなとサクラは思いました。
月1回、マドカはだれとも話さない月曜日があります。お母さんが出ていった日のことをよく覚えています。おとなしいお父さんがあんなに怒鳴るなんて、お母さんをぶとうとするなんて、もうだめなのかなとマドカも思ったのです。今はお父さんとおじいさんと3人暮らし、みんなやさしくしてくれるのですが、月に1回、お母さんと会った翌朝はダメです。学校へはぜったいに行かないと泣きわめいて、ようやくなだめられて学校まで来ますが誰とも話しません。
ツヅレサセはパイブの中からすばやくマドカを見ました。真っ暗なマドカの心はツヅレサセにはぴったりの夜の闇に見えました。ツヅレサセはすばやくマドカの心にとびうつり、さっともぐりこみました。
「いててててっ」
マドカの心はトゲだらけで、さすがのツヅレサセにも居場所がありません。「こりゃひどいや、たまらない」そういって飛び出してしまいました。
マドカは、一瞬、気分が悪くなり、誰とでもケンカをしてやろうと身がまえましたが、すぐに元にもどって、いっそうなげやりな気持ちになっただけでした。
ツヅレサセはむしゃくしゃしてきました。せっかく夜まで過ごせると思ったのにあてはずれで、黒い心は、すぐ仕返しをすることを考えます。
「コマチグモをかませてやれ、おどろくぞ」
コマチグモはアシの葉に住むおとなしいクモですが、毒があり、かまれると1週間は激しく痛みます。ツヅレサセの細い指がトンボのようにすっと飛んで行って、足を折りたたんで巣の中でボンヤリしていたコマチグモを一匹、上手につまんで帰ってきました。
マドカは1時間目がはじまっても、ぼんやりしていました。家族の事情を知っているイシイ先生は、そっとしておいてくれます。それをいいことに、家でも学校でもわがままいっぱい過ごしてきたのです。実は先週も、いじめられた男の子の母親がどなりこんできたのです。後ろの席のハジメがちょっと教科書をぶつけたのを怒って、見事に2つにひきさいたのです。体が大きくて乱暴なマドカはみんなにこわがられていました。
「そんないじめっ子をほっぽっておくのは問題です」
先生はひたすら謝りました。
「安心してうちの子を学校にやれません。だいたい先生の指導力がないからこういうことになるのです。みんな批判しています」
「まあ、しばらく様子をみてやってください」
こんな母親にマドカの苦しんでいる心の様子などを話したら大変です。たちまち、みんなにしゃべりまくるでしょう。母親はプンプンしながら、「本当にダメな先生だ」ということをみんなにしゃべりまくるために帰っていきました。
先生はマドカをもっと大切にしてやろうと思ったのですが、それはなんの解決にもならないことも知っていました。
ツヅレサセは攻撃をしかけました。マドカの首すじにコマチグモをおしつけたのです。いくらおとなしいクモですが、ウトウトしていた葉っぱからつまみだされ、わけのわからない所へ連れてこられ、おまけに、マドカの手でふりはらわれたので思わずカッとしてかみつきました。
「アッ」といってマドカは立ちあがりました。まわりの子は息をのみ身をすくめました。
「先生、ハジメがわたしをつっつきました」
そう言い終わると気分が悪くなってしゃがみこんでしまいました。
「オレ、なんにもしていないよ」
「だって、マドカちゃんはつっかれたって言っているぞ」
「知らないよ、オレじゃないよ」
そんなことを言っているうちにマドカはみるみる青い顔になっていきます。
「先生、マドカちゃんを保健室につれていきます」
だれかが言いました。
「そうだ、保健室だ。それが第一だ」
先生はあわてて保健室へ走っていき、その後はみんな遊んでしまって授業になりませんでした。
マドカは気分の悪いまま、うす暗い中を歩いていました。自分が真っ暗になってしまった気がします。これはツヅレサセにはとてもいい状態です。ツヅレサセはいそいそとマドカの胸の中に入っていきました。さっきは心に入ろうとしてひどい目にあったので、今度は胸の中に入ったのです。
心と胸はどうちがうのでしょうか。心は頭とつながっています。だから、すぐに反応しないかわりに、いつまでも覚えています。ところが胸は、出来事が起こるとすぐ反応します。だからこわくて胸がドキドキしたり、悲しくて胸がいたんだり、感動して胸が熱くなったり、すぐ反応します。
保健室のベッドに寝たことも救急車に乗せられて病院に連れて行かれたこともマドカは知りません。ただ暗い道をずっと歩いているだけ。誰かに助けを求めたいのですが、お母さんの名を呼ぶとお父さんが悲しむし、お父さんの名を呼ぶとお母さんが怒るし、心も頭もすっかり停止していました。
一番ショックを受けたのはハジメでした。自分は何もしていない……ことは確かなのですが、実際にマドカは倒れてしまったのです。先生も自分のせいだっていったし、もしかすると気づかないうちになにかしてしまったのかもしれない、そんなふうにも思えるのです。もちろん、お母さんには何回も問いつめられました。自分がウソをついていると思っているんだということも感じました。なんだか自分が自分でないような気がしてハジメは食事もとれなくなりました。そのため、いよいよ母親に疑われてしまいました。
コマチグモもかわいそうでした。ふりはらわれて壁にぶつけられて、足が2本取れてしまい、とっさにクモの糸でぶらさがって身をひそめていました。居心地のいいアシの葉の家を思いうかべながらぼんやりして、誰かなんとかしてくれと泣きたいような気持ちでした。
マドカは意識不明です。点滴を打っていますが、お医者にもどうしたらいいか分かりません。ともかく検査をします、急な知らせで病院に来たのはおじいさんだけでした。お父さんは明日にならないと帰りません、お母さんに知らせた方がいいのかおじいさんには判断できなかったのです。
マドカは暗い道を歩き続けています。その時、ハジメも同じ道を歩きはじめていました。母親はともかくあやまらせようと、ぼんやりしているハジメをつれて病院に行きました。
ベッドに横たわっているマドカを見て、ハジメは目の前が真っ暗になって立っていられなくなりました。ハジメを謝らせて終わりにしようと考えていたお母さんも困りました。ハジメが謝らなければ、自分が謝らなければならないからです。
ハジメはマドカの姿を見て、かわいそうで胸がいっぱいになりました。心の中にはいろんな思いがあります。いじめられてくやしかったり、ものをこわされて悲しかったり、しかし、今のマドカは人形のようです。そしてハジメも暗やみの中を歩いていきます。後ろから何かが飛びかかってくるようで、こわくて頭の中はグルグルまわっていますが、心の中はマドカのことでいっぱいでした。この暗やみの中にいるのは自分とマドカだけです。
そうだ大きい声で呼んでみよう。
「マドカちゃん、マドカちゃん」
となりのベッドに寝かされているハジメの口が動きました。
どうやらマドカの名前を呼んでいることを知って、お母さんはいよいよ暗くなりました。自分の子が、なにか決定的な悪いことをしたと思ってしまったからです。
ハジメは走り出しました。叫びながらマドカを追いかけました。
「マドカちゃん待ってよ、ボクも行くよ」
「マドカちゃん、ボクともだちだよ、マドカちゃん好きだよ」
ふっとマドカの足がとまりました。
「ハジメちゃん、だいじょうぶ、ここまっくらだね」
ああよかった、マドカちゃんはだいじょうぶだ、とハジメは思いました。まっくらな中に一つだけ電灯がともったように灯りが見えました。マドカもハジメがいることでホッとしました。すると、また一つ灯りがともりました。
「マドカちゃん一人で行っちゃうから、心配してさがしに来たんだよ」
「ありがとうハジメちゃん、ごめんね、いじわるして」
横たわっていたマドカがピクッと動きました。ハジメのお母さんはすぐにナースコールを押して看護婦さんを呼びました。ようやく口を開いたマドカは首が痛いことを告げました。すぐにお医者さんはクモのかみきずを見つけました。もう、だいじょうぶです。
ツヅレサセはマドカの心に灯りがともったとき、飛び出して真っ暗だったお母さんの心に入りました。ところが、すぐに、また、いられなくなりました。しかし、ここは病院です。暗い心、暗い気持ちを持った人がたくさんいます。ツヅレサセがいられる場所が目うつりするほどあります。みなさんも、どんなにつらいことがあっても、けっして暗い心になってはいけませんよ、ツヅレサセに住み込まれてしまいますから。
3日もたつとマドカは退院して学校にもどりました。前より少しおとなしくなったかな、という感じです。そしてハジメをぜったいにいじめません。
しかし、サクラは心配になりました。毒のあるクモをやっつけるために学校中、大掃除をするでしょう。すると、あのコマチグモはどうなることか、助けてやらなくちゃ、しかし、こんなことは鳥とかトンボに頼めません。なぜならクモを食べてしまうからです。
そうだカブトムシに頼もう、木の汁しかすわないんだから。頼まれたカブトムシは放課後のがらんとした教室を探して、コマチグモを見つけるとアシの葉のある水辺に飛んでいきました。コマチグモはアシの葉のベッドにもぐりこむことができました。
すさまじい雨がふってきました。屋根に当たる水音が激しくて眠るどころではありません。階段を滝のように流れる水が小屋に入ってきました。サクラは地上50センチのベッドの上にいます。そこまでは水は来ません。干し草の入ったフラスチックの箱がゆらりと浮き上がって漂流しはじめました。ここまで流れてきたら寝たまま干し草が食べられるのに、サクラはのんきなことを考えました。キーキー言いながらネズミの親子が避難してきました。泳いできたのでしょう、濡れネズミです。サクラはそっと体をずらして3匹分の寝場所をつくってやりました。
「こんな夜にはもっとお客があるかもしれないな」
サクラはまた、うとうとしはじめました。
ホームへ戻る
次の章へ