おごっそう屋
駐車場には明るい日差しが照りそそぎ紅葉が少し裾模様になっている。まだ客がくるまでには少し早い、軽トラから野菜を下ろしている。吉田君は渋滞が嫌いで悪態をつくので暗いうちに待ち合わせて走ってきたのだ。見せたい所がある、一泊しようとの誘いだ。
おごっそう屋というお洒落な名前の道の駅でお婆さん二人とお爺さんが話している、もう一人のお婆さんは食堂で準備中だ。
「今年は暑さ続きで葉物はダメだったな」
「キノコはどうかね」
「クマが出るって役所が脅かすからいけないよ。クマの鳴き声には驚いたな、谷に木霊するんだ、やっぱりクマは山の神様だな」
「なんのオオカミだ、怖かったってさ」
「おやカヨさんはそんなお歳だったのかい、オオカミは明治までだがそれをご存知とは、そっちの方が怖いや。ご先祖様ナムアミダ」
お爺さんが拝む真似をするとカヨさんが怒った真似をした。
「お客さんの前で若い者に恥をかかせちゃいけねぇよ、悪口言うと後生の妨げだ」
誰が若い者だい、食堂から声がかかった。
僕が笑っていると看板娘が寄ってきた。
「お客さん、この巻寿司は美味しいよ、山椒が入っているからね。煮物とコロッケはあっちのオバさんのお手製さ。コンニャクも自慢だよ。ニンジンなんてどこも当たり前だっていうが、ここのニンジンは違うんだ。シベリア帰りの霜村さんが初めて村で育てた由緒正しいニンジンだよ。甘いよ」
「良い所ですね、皆さん、村の方ですか」
「静かが取りえ、嫁に来てもう何年だか」
「化けるほどここにいるように思うね」
お爺さんはさっさと車に逃げていった。
「過疎の村だよ、昔はチベットなんて悪口を言われたよ、この村の三分の二はジジババだ、百人もいるかね、けど元気なもんだよ」
「生まれも育ちも芦川で帝釈天に産湯をつかいなんて人はもういないのですかね」
「いますよ、キヨさんといってね」
さっきから青菜を並べていたお婆さんが笑って言った。少し困った様子もある。
「上芦川は古い家が立派になったが下の方は投げやりにされたままだ。お客さんも同年輩だから訪ねてやってくださいよ、喜ぶよ」
今度は揶揄するような風が吹いてきた。
食べ物を買い込んで車を出した。少し走るともう村落だった、今は笛吹市芦川町、市に編入されて町になるのは妙だな。
「ここに覚えはあるかい、昔は甲府から乗り継いでここに来たんだ、夏休みの合宿にさ」
まだ思い出さないでいると吉田君が丘の上のきれいな学校を指差した。
「木造の体育館で泊まった。ステージ脇には僕らのリュックや小道具大道具がゴタゴタ積んであった。飯盒で飯を炊いた、畑の胡瓜とトマトをたくさん食べたじゃないか」
まだ思い出さない。
「ほら、ここが芦川だよ。僕も2年前に八ヶ岳に行こうと若彦トンネルを通り過ぎてオヤと思った。それから何回か走ってようやく思い出してきたのさ」
大学に入ってすぐの年、僕ら1年生の4人がサークルの最後の部員だった。翌年に大学紛争が始まり一切がワヤになって伝統あるジャリ研こと児童文化研究会は消滅した。夏休みに連れられた芦川訪問が最後の合宿になった。先輩は紙芝居、寸劇、歌と踊りなど文化を持っていたが僕らには何もない、子どもたちと川遊びをしたりゴロベース、ドロケン、ゴムトビをした。ペープサートという絵を貼りながら語り聞かせるのは高安先輩の得意だった、包みこむような優しい人だった。
「青春さ、シュトラム・ウント・ドランクつまり疾風怒濤、あの嵐は誰が招いたのか」
「紅顔たちまち白髪の翁、すぐに喜寿だぜ」
「君の呼び名はひょっこりひょうたん島のハカセだった、飄々と風に吹かれていたね」
「それは吉田君、君だろう、相変わらずスラリとして品がいいし相がいい」
「つまり貧相だ、僕も落語は好きなんだ。まず孤高の村人に会いに行こう、もしかすると僕らを覚えてくれているかもしれない」
ジャリ研は政治・宗教・恋愛が禁止だった。子どもの白紙を汚したくない、そんな性善説を運動のオルガナイザーたちは唾棄した。
清流に丸木橋が渡っている、小さな畑には唐辛子が天を向いて林立している。細い道が行く筋も斜面を登っていく。
「道から見える大きな古民家ならあれかな」
行き過ぎた車を止めて道を戻った。
兜造りの屋敷
立派な兜に見えた茅葺屋根も今はトタン板に覆われてはすっかり赤茶に錆びている。土壁も大きく崩れて、かしいだ裏木戸がしょんぼりうなだれているようだ。
「こんにちは」吉田君が若々しく叫んだ。
色白の少しとがった上品な顔の老婆が奥から出てきて驚いた顔になった。
「あなた、直樹さんじゃないかね。その立派なお髭で分かりますよ、すっかり白くなって、でも分かりますよ、直樹さん、お久しぶり」
吉田君は紛争中の大学を形ばかり卒業して図書館の仕事に就くと髭を生やした。髭サンと客に愛されたが上司に干渉された。たぶん役所や議会のお偉方が不快だったのだろう、公民館の図書室に左遷だ。しかし選挙で首長が改革派になると復帰し、その後に保守派に戻るとまた閑職に移動した。彼なりの闘いを続けてきて髭はいよいよ立派になり歴戦の偉勲で真っ白になった。運よく白髪は豊かに茂っている。
キヨさんが手を伸ばして髭に触れた、さすがの吉田君も驚いた。
「キヨさんですね」
「よう覚えていなさったな。何を他人行儀に、昔通りにキヨと呼び捨ててくださいよ」
吉田君は僕にちらっと目配せした、あとは一人芝居をするから任せろという合図だ。
「ずっと一人暮らしをされてきましたか」
「はい許婚が死んでからもう半世紀になりますよ、一人でこの家を守っております」
「ご兄弟姉妹はどうされましたか」
「みんな出て行きました、お金と写真だけは律儀に送ってきますがね」
「村は淋しくなりましたね」
「私は少しも淋しくないよ。祭りも行事も続いたものあり止めたものあり、三月飯は今年もやりましたよ、直樹さんは招かれなかったのだね。何しろ子どもが数人だけだから」
町内外の子どもが村人を招きご馳走する、今はキャンプ場に火を起こし雑煮と雑炊(餅を飲み込めない人への配慮だ)をつくり輪投げ大会や西瓜割りで楽しむ。三月飯なのに七夕行事で今は6月末にやる。
「昔は若い男女の出会う行事でしたね。アジアにもそんな祭りが沢山ありますよ」
吉田君の説明は上の空だ、キヨさんは耳も遠いし、もはや人の話を聞く耳も持たぬのか。
「ねぇ直樹さん、私らの子どもの頃、3月は毎日がお祭りだったよね。天神さん、百番観音、蚕影さん、蔵王権現と忙しかったね」
「すずらん祭りもやっていましたね」
「すずらん祭りは…ええと、私の生まれた頃からですよ、人が集まって賑やかでね、芦川音頭で歌って踊って、忘れられませんよ」
乁峰に松風 谷間は夜明け すずらん畑は朝がすみ 甘く匂って寄ってござれよ
キヨさんは不自由そうに踊りの手振りを
いくつか見せた。そして歌をもう一つ。
乁盆が来たそうで お寺の庭で 十九二十
の声がするドツコイショ 私と主さんは門なら扉 朝は別れて晩に会う
「おやおや、これは盆踊り唄になってしまっ
た、耄碌婆がお恥ずかしい。ただあの頃はね」
若い衆がたくさんいたころは生きる楽し
みも張り合いもあった。人間の実感があった。
「うかうかしているうちに人も村も年寄りになってしまって。私はキャジャに会ったからもう村からは離れられないのですよ」
「それは何のことですか、分かりません」
猿が年へてフッタチになると土地の女を攫って山奥に連れて行くらしい。
「私も沢にいて攫われそうになったことがありますよ、大声を出すと逃げていったよ。私も器量好しだったからね。運命みたいなものでしょうね。私はいわばこの家のヌシみたいなものさ、代々の人の思いが重なってね、そんな村のヌシに憑かれているのかもしれない。夢ばかりではなく時々は昼にも現れて昔語りをするのですよ」
まあまあお茶も出さずに、また寄ってくださいねとさっさと話を打ち切って奥に入ってしまった。物腰は丁寧で変なところは少しもない。僕らもお辞儀をして外に出てそそくさと車に乗り込んだ。
「君、成りすましてキヨさんを騙したことにはならんのかね」
「キヨさんは楽しくひと時を過ごしたんだよ、たぶんもう忘れてしまっているだろうな。もはやキヨさんと家と村は一つになってしまったんだ。プライドの高い賢い人だね、だから脆くある。キヨさんの思いは一家の最後の当主が死んで歴史も消えるのだろうね。施設に入所させるなどできないよ」
「福祉行政は自分が責任を負いたくないからな。皆に看取られて幸せに死にました目出度しめでたし、皆に囲まれて死ぬなんて僕にも嫌だよ。さて直樹さんって誰なんだろう」
「髭を生やした懐かしい人、ご先祖様かな。夢かもしれない。キヨさんを支えてくれる人は他にもいるんだね。君、ひとっ走りしてすずらん音頭の地を見てみよう」
10月半ばのすずらん畑だ、花も香りもないが白樺混じりの森は清々しい。おごっそう家のランチをテーブルに広げた。
「美味だね、青空の下、風に吹かれて、今日の恵みを、故郷の味かな。さっきから不自由な物をつけているが食事に髭は邪魔だろう」
「では水を差そう不味い物の話をしたまえ」
さて何だろう、世界中をほつつき廻ったからとんでもない物も食べた。肉、魚、芋、草。
「僕は学食さ、仕事柄でよく大学にも行くんだ。君、かつての母校の学食を評価せよ」
当時だって学生はゲルピンだから学食は命の綱、バイトと奨学金でつないでいた。
「貧乏をゲルピンと言ったが死語かな。あのモヤシが3本入ったほぼ透明な味噌汁、清貧が迫ってきたな。今も貧しいがモヤシ3本ほどではない。お洒落を優先してきれいに化粧してその上、ダイエットだ。スマホばかりで政治も哲学も議論されん。消えた同級生が何人もいたっけな」
彼らは被害者だ。父親が警察幹部だった男は糾弾されていなくなった。彼女は活動家と共にどこかに潜伏した。そういえば指名手配後、50年経って自首してきた男がいたな。
「あんたらもイジューかい」
さっきから駐車場の草むしりをしていた老人が汗を拭きながら隣に座った。
「季節外れの暑さですね、ご苦労様です」
吉田君はいつも誰にでも丁寧に挨拶する。
「俺はこれで手当てを貰っているんだ。ボランティアなんか大嫌いだ」
弁当箱を引っ張り出して食べ始めた。
「仕事は一人、飯も一人じゃ胃に文句を言われるよ。富士山の展望台に行くのかい」
「行った方がいいですかね」
「わずか10分でバス代1800円だぜ、お役所仕事だからな。資本はしっかり見定めているよ、ものになるなら引き継ぐし駄目なら鼻もひっかけない。村の年寄りが行くのは墓参りだけだよ」
「村の人ですか」
「いや俺は村の出戻りだ、都会で仕事していたがちょっとまずいことがあって村に戻った、何があったかそんなこと皆が知っているんだよ、噂を広める衆がいてさ、村人は一心同体なんだ。俺はしくじりの三州さんだ」
「三州さんってのは何ですか」
「このあたりは古くから名前に州をつけて呼んだのさ、俺は三郎だから三州、太郎ならタア州だ。同じ姓が多いからだろうな」
「村人も草むしりするんですか」
年に何回かはボランティアが決まっている、事情があって休めば何か埋め合わせをしなければならない。
「道路の草をむしりゴミを拾い花壇を作って全部ただ働きさ。軽トラ何台分もだよ。学校が子どもにやらせるから親も仕方ない、一軒がやればどこも全部やる。行政の見栄もあるな。こんなきれいな田舎です、住みたいでしょう、ここを故郷にどうぞってさ」
三州氏の憤懣が爆発したようだ。
だから道なんか作らなければいい、観光客は素通りして土産はゴミだ。大事なバスは廃止されもうこの道を走らない。花壇になぜ横文字名前の花を植えるんだ、ふるさとを演出するのに相応しいのか、伝統的な郷愁の村は草深い田舎だよ。パチンコもボートレースも映画も居酒屋も楽しめないや、コンビニだってないんだよ。季節の新鮮な食べ物、ありますよ結構だね、茄子と胡瓜が一ヶ月半、キャベツと大根が二ヶ月間食べ放題さ、すぐに通販に飛びつくよ。国の過疎対策は産業振興・交通確保・集落の維持と活性化、できるはずないだろ、日本は資本主義の国だよ。TVでイジュー番組、見ますよ勝ち組が偉そうにさ、負け組は取材しても放映されない。インターネットがありますから自宅で仕事ができますだって、ユーチューブでろくでもないものを作って登録者を増やしてCMで銭儲けしろって不健全だね。
「三州さんは正論を語る愛郷者なんですね」
吉田君が皮肉に返すともっと強烈に返された。
「県は団塊の人を呼び寄せたいらしいな、役所が言っていたよ、ただ団塊ってのは大学を出て文化を身につけてきれいごとでやってきた人たちだろ、中卒とか高卒で汗をかいて人生を過ごした人なら村でも歓迎だが、団塊なんぞは理屈で足を引っ張るだけの役立たずさ。SDGsだよ、団塊も村の衆も先がないってだけさ、持続しようったってできない衰えた衆さ、束の間だよ」
「奥さんも一緒に暮らしてられるんですか」
「俺の女房?出ていったよ都会者だったからね、冬は辛いし夏は観光客で五月蝿いんだ。イジューすれば農作業が楽しめますよなんてくそみたいな話を真に受けてついて来たのさ。蚊はメスが子孫を残そうと刺すんだよ、女に頼まなければSDGsは望めないや」
「こうして余所者と話すのは気分がいいんだよ、この場で忘れちゃうからね。村人とは話ができない、一生語り継がれるからさ」
「この現状をどうしたらいいと思いますか」
「まるで行政みたいな青臭い質問だぞ、俺は自分の始末もできずに草をむしって生きているんだよ。現状のままでいいよ、仕事は四季にあるから飯は食える。世間にたくさんいるしくじりの何州さんに教えてやりな、移住者がいくら増えても大丈夫だからってさ。ここで死んだら…それで終わりさ、さっぱり清々しい最期を迎えるよ。迷っている人に教えてやりな。墓地の苦労もないよ」
吉田君に促されるまでもなく車に戻った。
「アナーキーな人だな」
「僕らも紛争の頃はそうだった、面映いな」
「僕らは中期昭和の同時代人さ、今にして思えば熱い団塊も多かったが冷えて縮こまった砂粒もいた、君も僕もさ。未熟な若者はあっというまに権力に包みこまれてしまい、後は従順な働き蟻の生涯を過ごしたな」
「君は髭でちょっとだけ抵抗したね」
「この前、1970年刊行のアガサ・クリスティを読んだ、学生運動をこう書いていた」
それは一本の木に咲いた花の一つに過ぎない、それがあらゆる国で花開いている。しかし何かが隠れて画策しているのだ、スローガンは刺激的だが叫び手は理解していない。
僕らは大学紛争も初心者だった。各派の違いが分からない。主旨は同じなのに互いに最悪の敵と言い合う、中核とか民青とか核マルと名前以外にどこが違うんだろう。
「扇動された熱狂の時代だったね。ジョーン・バエズもPPMが勝利を歌った。キング牧師が叫んだ。パリで学生が5月革命を起こした。日本では安保反対デモが起きた。どこも女性が前線に立っていた」
「女性たちは闘っていたね」
ある人はヘルメットを被り前線で安保反対を叫んでいた。ある人はバリケードの中にいて群がってくる男たちを排除していた、敵は気が昂ぶって獣性を発散する男たちだ。
「もちろん女性たちも昂ぶっていたよ、僕にも自称ガールフレンドが寄ってきた。でも宣言した、間違わないでね君は紳士だから私の安全なシェルターよ、闘いの友ではないの」
「なるほどそれが独身のスタートか」
「畏れ入ったよ。さてキミの話を聞こう」
「僕はバリケードには入らなかった。闘う女は怖かったし護ってやりたい女性がいた」
国文の醒めた人だった。蒼白い肌の華奢で淋しげな顔立ちだった。就職とともにプロポーズして父母に紹介されたが父親に激しく拒否された。娘は結婚生活ができる体ではない、幼い頃から病弱で薬が離せない、あなたの不幸であり娘も不憫だ。
「それでもと言って結婚した、神田川の世界だったな、三年経って亡くなったよ」
「僕も結婚式で祝辞を言ったな、カシニョール描くという人だった、それで再婚せずか」
「うん、一人なら権利も義務も責任は自己だけだ。僕の弟と姉妹には子も孫もいる、伯父さんと喜怒哀楽を共にしてくれている」
「なるほど自己完結できているな。次はどこに行くのだ、まあどこでもいいがな」
「君の人生観ならそうだろうな」
グリーンロッジ
すっかり暗くなる前に着きたいと吉田君は言った、一面に虫の声、暗く曲がった道。
「君、これはチチカカ湖の芦舟ではないか」
ここはチベットかアンデスなのか。
「皆で造り河口湖で浮かべたそうだ。芦川から漕いだのではない、おや親方は留守かな」
吉田君は何回か泊まっていて酒を呑んでも無口な管理人を紹介すると言っていたのに、奥から似たようなお婆さんが現れた。
「用事ができたからって代わりを頼まれてさ。おらぁ、あっちの施設で裏方をやってる者です。泊り客は気安い人だからって言われてるから安心だよ。余所者には気をつけなくてはね、村のもんは用心深いんだよ」
安心してもらってまあ良かった。
「おや、大きなパックだね、酒かい」
「3リットル入っていますよ」
「おらぁも9時を過ぎれば仕事があがるんだよ、ところで今は何時だろね」
あわててスマホを出そうとするとその前に吉田君がおっとり言った。
「9時2分前ですよ」
「今日は暮れるのが早いようだなぁ、一杯よばれてもいいかね」
「さっちゃんと呑めるならうれしいですよ」
「あらやだよ、お知り合いだったっけ」
「あの黒板に代行幸代って書いてあります」
「ハッハあんた隅には置けないね、ああ良かった、漬物でもおあんなってな」
つい僕は吉田君の人生を思ったりした。
一杯二杯、さっちゃんは饒舌になった。
「おらぁビリッケツだから村に残った。卒業40人のうちの4人さ。おんなじビリッケツのコー州と連れ添った、ああ孝次だよ」
子どもは成人する前に家を出ていった。夫は死んだ。村でも仕事をしないと食えない。
「脳卒中だ、酒ばかり飲んでいたからな、おらぁも親父と同じように死にたいから酒を飲み始めたがハッハ長生きしそうだよ。えっキヨさんと会ったって近頃どうかね」
ちょっと頭を触ってみせた。
「あの人は級長さ、バレーボールではセッターっていういのかね花形だったよ。家柄は良いし美人だったし、これでは真っ先に村を出るわけにはいかなかんべぇ、しみじみキヨさんは可哀想だな」
「あの文化祭の舞台は今でも覚えているよ。ビリッケツのおらぁも泣いたもんだ」
『村を拓く』という劇だそうだ。卒業をひかえた3年生が山の頂に集まって語り合う。特徴のある破風山の書割を後にして主役のキヨさんが語りかける。
-私たちの考え次第なの。現実のこの村が変わるのよ、夢が現実になるの
-そうだよ、この村が生まれ変わるんだ
-まず何から始めればいいんだよ
-アンケートよ、求めているものは何、病院?映画館?スーパーマーケット?一つずつ希望をかなえていけば村が拓ける
-修学旅行で東京を見たよ、ああいう町になるんだね 舗装された道路があれば駅までバスで行かれるんだ、バレーの試合にも。
-吹奏楽大会にも出場できるよ
「何もできなかったよ。おらぁも夜明けに峠を越えてバス停まで歩いて修学旅行に行ったさ。泊り込んでバレー大会にも出た。優勝したんだよ、村の人も泣いたさ。でも卒業すると出ていった、おらぁの子もね。おらぁの子の文化祭ではこんな劇に変わったよ」
-子「母さん早く甲府に家を建ててくれよ」
-母「父さんが甲府の工場で雇ってくれるらしいから決まったら家の算段をするよ」
-祖母「ここから通えばいいじゃないか」
-父「道は良くなったが片道2時間かかる」
-子「俺は下宿なんか絶対に嫌だよ」
-母「先輩は立派にやっているじゃないか」
-祖母「まだ15才で家元離れて可哀想にな、もっともおらは尋常小学校だけだからな」
-子「ああ嫌だ、こんな所に生まれてさ。俺は恨むよ、さっさと東京に出て行くから止めるなよ」
子どもたちの本音を代弁したのだろう。
「言い返す言葉もなかったよ。だから一人も村に残らなかったの。おらぁが子どもの頃が村の一番良い時代だったのさ。キヨさんが山の上で叫んだ時に村の衆が先のことを思っておけば良かった」
村には2千人の人がいた。蚕種を10キロ、繭を2トンも生産した。
「そんなこともあったかね思い出せないな。でもおらぁ考えていたんだよ、同級生たちは勇気をもって村を出ていったのさ。バレーも吹奏楽もやればできると思ったのは確かだ、相手は外の世界だ、こんな小さな村ではない」
「そこに僕らが外から入って来て、ほんの一瞬の風を吹かせた、かもしれない」
「とするとあんた方は罪があるね。村に波風立てたんだよ、たぶんあんた方を呼んだ先生も同じだな。子どもを語らって村から出してしまった」
「村に残ったキヨさんとさっちゃんをスケープゴードにしてね」
「そのスケープ何とかは知らないが、おらぁ自分の了見でここにいるのさ、キヨさんだって自分を可哀想だとはおもっちゃいめぇよ」
「お二人さんは独り身かい、夫婦の苦労は晴れだが独り者の苦労は曇りだというぜ。夫婦喧嘩ができてこそ、」
寒くて早く起きた。部屋は20畳くらいあるのだろう、互いに遠慮しあって隅と隅に畳を敷いて寝たのだ。トイレ歯磨きと必須の仕事を終えて庭に出た。日はとっくに出ているのだが山の影が長く伸びてあたりは暗い。夜のケモノたちが落葉の敷き詰めた道を密やかに歩いているだろう。
このロッジは圏外だからスマホはただの時計、静かな村でも一番静かな所に鳥と虫の鳴き声だけが聞こえている。
吉田君も起きてきて。
「この前、泊まったときには雲南人のグループがいたよ。若い男女が10人ほど、日本人と見間違えた、東京近辺で3Kの仕事をしてストレスを抱えてさ、社長がバスで連れてきてくれたそうだ。挨拶するとすぐに言ったね、誰かが日本のチベットと言いました、ここはチベットと違います、雲南みたいです」
中国人にはチベットは忌まわしい、反抗的、異文化、言語習慣、宗教、あからさまに嫌悪している。雲南人はチベットに隣接する古くからの交易相手で友好的だ。興味を持って来てみれば桃源郷だ。峠の向こうには聖なる山もそびえている。聞けばここには三月飯があるという、雲南の弥生の姉妹飯は未婚の男女が集まりプロポーズしあう祭りだ。雲南にはたくさんの少数民族が山また山の谷間に住んでいる。衣服も習慣も信仰も独自だがアイデンティティは雲南だ。ここにコミュニティをつくろうよ、この桃源郷で子育てして、やがてチワン族もミャオ族トン族ペー族も地域に溶けこんでいくのさ。
「彼らはおおいに盛り上がっていたよ。ここに小雲南ができれば素敵だね。以前に雲南の博物館で見た仮面は石垣島の盆行事のアンガマのとそっくりなので驚いたものだ」
「続きを言いたまえ」
「彼らならここに移住できると思った。素朴で優しい顔の人ばかりだ。キヨさんだって僕の顔がアラブ人だったらいくら髭でも直樹さんとは思うまいよ、ここには雲南の仕事がたくさんある。小さな畑と棚田、機織り、炭焼き、森の仕事、もちろん弓矢とワナでケモノも獲る、手細工も達者だし家も作れる」
確かに兜屋根を修繕しトタンを萱葺きに代えていく技術を彼らは持っているかもしれない、少なくとも親類縁者はいるだろう。
「妨げは何だろう、行政か」
「就労とか定住の許可は無理だろうな、農業の特定技能なら言語OKなら可能だな。昔は芸能人枠があってフィリピンなどから水商売に殺到したものだが当然今はないね。東京のヘブンアーティストでフォークロア分野で登録できれば多少の支えがあるかな」
「なんだそれは」
「民族音楽だよ、雲南は歌と踊りが盛んだ。この前も焚き火を囲んで楽しかった」
「雲南人はイジュウのチャンスありかい」
さっちゃんが起きてきた。
「おはようごいす。朝飯はあるのかね」
「パンとコーヒーを持参していますよ」
「おらぁもパンだが紅茶にしてるよ、お湯を沸かすべぇ。今日はどけぇ行きなさる」
吉田君が考え込みながら運転しているので
僕が軽く冗談のつもりで言った。
「君、まだ返事をしていなかったな、何人かの人に求められていたじゃないか」
「もはやイジュウの年ではない、終の棲家へ永住はどうかい。茶飲み友だちになってさ」
「いいね、そうするか、ならば僕は子ども相手のゆとり教育の実践をさせてもらおうか。ここに住む存在意義の任期は10年だぜ。コロナ以来、飲み仲間とは会わなくなったがコンサート、お芝居、寄席はいよいよ近くなったが遠い別れかな、理屈は何とつけよう」
「東京は土日に行けばいいさ、なら理由は単身赴任だな。不審に思われたら、ご縁です…かな。こんな夢を見たよ。何かに追われて目が覚めて、いや順が違う、目が覚めた時に追われていたんだよ。定住地は必要だ、ここには高安さんがいる。騒がしかった青春のほんの鮮明な一画面だよ。高安さんを覚えているかい」
「もちろんだ。」
御陽成天皇第八皇子良純法親王 八千代太夫に入り浸り 六条三筋町 甲斐に配流。八千代太夫も一緒に行き16年共に
ふる雪や この山里は心せよ 竹の園生の
末たわむよに 皇族の雅称
許されて京に戻り新善光寺に 66歳
「結」があるから村はまとまったんだよ。ボランティアじゃない必ず自分の番がくる投資だね。屋根葺替えばかりではない祭礼も葬式も皆そうだ。子どもも若者も組に入り自分たちの社会に組織される。誰にも役割があった。
助け合いも競い合いもあって互いに切磋琢磨した。ポッカリ穴が開いて学校が道を開いたのさ、年上から順に村を出て行く決まりになった。
どうするんだい。新しくきた人に伝統を引き継いでもらうかい、幸いユネスコも国指定の文化財もないから安心だね、この山を降りたところには天津司舞という国無形文化財があって保存を指定されている、誇りかね重荷かね。
塩飢饉って言ってね、山深くなるほど味噌も漬物も塩辛いのは飢饉に備えるからさ。五平餅にたっぷり味噌を塗るのはご馳走だからだ、ふだんは節約しているんだよ。
蚕を育てますというのは米がとれませんというのと同じことさ。年貢が米で納められなければ絹しかないだろ、封建の世の中は厳しいんだよ。
無念の戦後史 西部 邁 講談社
マスを肯定的に受け止めるヨーロッパでは愚民 サラリーマンという類型が好ましいものとされた アメリカでも反省的なのに
GNP国民総生産がGNM総国民精神より上位になった
安保闘争に集まった群衆の政治的力量はゼロに等しいことが分かった
団塊は矛盾や逆説に心理的に苛まれる
欧米では砂粒のように孤立する大衆
砂のように折り合いがつかない因子の集まり
親の保護は受け入れるが保護されることは望まない 試験は受け入れるが自分の能力を査定されるのは嫌い 社会主義は受け入れるが左翼からは押し付けられたくない
活力と公正と節制 自由と平等と博愛は規制と格差と競合が尊重され社会が維持される
自由と放縦 平等と画一 博愛と偽善
規制と抑圧 格差と差別 競合と酷薄
政治はその国の民度を反映する
終身雇用 年功序列 企業内組合
経済大国
FT=フリートレード 自由貿易 アジア共同体 反日=党是
村落共同体=感情共有体
コミュニティ共同体 地域社会
地方創生本部交付金
計画、経過、成果を求める 首長も担当も他と互いに情報を共有しあい、ひとりだけ目立ちたくないからドングリになり自己創生を妨げる 議会からもスローガンが降りてくる
持続可能な・自民 消える年金・共産
2014安倍内閣
移住 ふるさと求人 結婚出産子育て
生涯活躍 人材支援 まち・人・仕事
村ではない、ここでは昭和40年代に終わっちまったよ
今は地方創生・脱炭素だとさ ようやく電気がついたのにな ガソリンも高いがハイブリッド自動車なんて頼りにしていいのかな