8ヶ月ぶりの寄席です。花緑がトリ、文楽志ん生の影もなく紺屋高尾をコミックのように演じました、もちろんワンピースを歌舞伎でやる時代ですから異議はありません。当代文楽は昭和レトロの味、談志だって志ん生から離れられなかったのですから当然でしょう、寄席は独演会と違い皆が持ち味を出しつつ主役になるのを控える日本的な世界です。ただ紺屋高尾を知っているからアレンジが分かる、偉そうに誰はこうやったと菊吉爺いを決め込みたくなるのです。誰もコロナの枕はふりませんでした