月初めの日の新聞が厚いのは広報とタウン紙が挟まれているせいです、味もそっけもない広報は役所の机で書くから、多彩なタウン紙は足で歩いた町発信だから、好対照です。今日は神無月に出雲で集会をしていた神様が戻られた歓迎の日です。このコロナ下、広報のようなお経を唱える仏さまより、地域密着、足で歩く神様の話をうかがいたいものです。人は死ぬと神様になる、来年はショーコネリーも出雲集会に招かれて弁天様を誘惑する事でしょう