佐渡

奈良以来の金山は南部の西三川で今回知らずに車で入り込んだ山でした、月産大判18枚、1枚2千万以上だそうです。山を崩して砂金を取る方法で、今もある各地にある砂金すくい観光施設がありました。江戸時代にあの大久保長安が中部の相川に開発し過酷な無宿人狩りで人足を集め、明治には労働者が争議を度々起こし、第二次大戦で朝鮮人が投入された、ただし金ではなく軍需の銅がメインだった、ユネスコには抵触するだけでした

2024/8/27