9月のやぎの歌
それから私たちは
高原の白い岩の上で
しずかなひとときをすごした。
風があなたの柔らかいヒゲを吹いていった
やがて日がかげり
あなたのハシバミ色のひとみに背をむけて
私は
くちびるに後悔のひとかけらを残して
香草の薫る道をかえっていった。
あの時の一束の草の味は
どうだったかと
修羅
「暑いですね」サクラは言いました。さすがに朝夕は風が涼しくなりましたが、日中の暑さといったら「暑くて昼寝もできない」イチョウの木のサラサラと葉のすれるような笑い声が聞こえました。何歳になるんだろう。サクラは思いました。種から数えて、芽生えから数えて、自分がイチョウの木だと分かったときから数えて何歳になるんだろう。それとも、まだ自分がイチョウの木だと分かっていないのかしら。
「この学校ができてから40年たつ……」長い間があきます。
「わしは少しもかわらんが、まわりの木は育った。育っては切られ、育っては切られ」セミが最後の声をはりあげて鳴いています。
「子どもは変わらない。服と呼び名が変わっただけだ。昔はアッチャン、ショウチャンだったのが、ちかごろはマユだ、カイトだと。年寄りになったからといって名前をかえることはできんのに」
サクラはすっかり眠くなりました。
「以前はここは山だった。道がないから、だれも来ない。」
ウトウト…
「ところがある日、空から人が降ってきた」
おや、と思ってサクラは半分、目をあけました。みょうな話になったからです。さっき子リスが持ってきてくれたのはまだ青いどんぐりでした。
「これが落ちてきて、あたまにあたりそうになったの」
子リスは天が落ちてきたほどびっくりした顔でサクラに言いました。
「まだ、子どもといってもいい若い男だ。飛行服というのを着ていた。70年近くも前のことだ」
それは本当の話らしくなってきました。サクラは座り直して話を聞くことにしました。
「飛行機はそのまま沼に落ちた。わしのひざの上でしばらく苦しんでいたが、やがて死んだ。無惨なものよ」
「死ぬ前にポケットから小さなメダルを出して土に埋めた。わしに頼んだ。これをあずかってくれと」
「それって戦争中のことだよね、それでどうなったの」
「数人の男が、道をつくって、運び出していった。それ以来、ここに道ができた」
「それでメダルは?」
「まだ、あずかっておる。わしのひざのところに」
サクラは見たい気分でいっぱいでした。今度、外に出してもらったらぜったい見てみようと思いました。
「そっとしておいてやりなさい、失われたものが現れるのは不幸なことがままある」
サクラの気持ちを察して、イチョウの木がのんびり言いました。
きのうは運動会でした。ユウスケはいじけて人目につかないところにいました。練習の時あんなに上手に走れたのに、見事にころんでしまったからです。おまけに隣を走っていたタカミにぶつかって、彼女まで遅れさせてしまったのです。泣きながらコウギされたユウスケはいたたまれなくなって保健のテントににげこんで、6年生の席に戻らずこの木の根元にかくれていました。落ち着かない気持ちで手を動かしていたユウスケは知らずに土をほって、指にふれたた固いものをポケットに入れていました。
ユウスケは弱虫でした。人とあらそうことがきらいな子は弱虫と呼ばれます。
メダルを見つけたのは洗濯しようとしていたお母さんです。またポケットにいれっぱなしだと少しムッとして、ゲームやおもちゃが乱雑に入っている箱に投げ込みました。こうしてメダルはふたたび人目にふれない所にうずもれてしまいました。それは銀でできたロケットで、ぴったり閉じたふたの中には小指ほどの小さな写真が入っていました。死んでしまった自分の体から、このメダルが見つけられるのがいやで、彼は土にうめたのでした。
その夜です。イチョウの木はひざがくすぐられるような感じで目をさましました。ぐっすり眠っていたサクラもイチョウのささやき声で目をさましました。
「なにかわしの足もとにいるが見てくれ」
そこに見えたのは、哀しそうな血だらけの飛行服のお兄さん……ではありません、子ネズミがしきりに穴をほっているのです。おどかすようにベーとサクラは鳴いてみせました。子ねずみはおびえて後ろを向きました。
「そこになんか用ですかね」
意地悪そうにサクラは聞きました。
「うん、たのまれたんだ。丸い固いものをほってきてくれって」
「だれにですか」
「ぼくの穴のドングリ神様に」
それだけ言うと子ネズミは一目散に逃げていきました。子ねずみは知りませんでしたが、それはドングリを大きくした形の鉄のかたまりでした。彼の体をつらぬいて、命を奪って、こぼれ落ちて地面に沈んだ銃弾でした。彼の命はその銃弾にこめられてしまっていたのです。地上に出たメダルの磁気に感じて銃弾も思いを発したのです。
「妙なことになりそうだよ」
サクラは眠そうに言いました。
今日もまた、ユウスケは弱虫になって学校を出たところの物置のかげに座っていました。みんながいなくなってから一人で帰りたかったのです。暑い日でした。空は澄みわたった青、道は強い陽差しで白く見えました。時々、弱い風がほこりをまいあげます。だれもいません。車も通りません。道の真ん中に立つと向こうがゆれて見えました。
とつぜん、カッカッというウマの走る音が聞こえてきました。重々しいひびきが地面を伝わります。あっと思って立ち止まるユウスケにみるみる騎馬が迫ってきて、馬上のヨロイカブトの武者が鋭い目で自分をさがしているのを感じました。ふたたび、あっと思うと騎馬は自分にのしかかってきて、そして消えてしまいました。武者はユウスケの姿が見えなかったのです。
不思議な気持ちは夕食の時も続いて、寝る時にも残りました。きっと夢を見るぞ、なにか期待するような気持ちでユウスケはつぶやきました。
予想通り夢をみました。
飛行機の中でした。上下左右にめまぐるしく動いて、激しいショックを感じて、みるみる地面が目の前に迫ってきます。その時、自分をさがしている必死の視線を感じました。ふと気づくと自分は落ちていく飛行機をながめていました。パイロットの目は自分を見つけることができなかったのです。かわいそうだなという気持ちが目覚めたあとも残っていました。
相変わらずユウスケは弱虫です。サクラは他の女の子から聞きました。
「わたしのクラスで、一番いじめられているのはユウスケだよ」
「だって反抗しないんだもの、みんな安心してひどいことをするんだ」
サクラは思いました。子どもってなんでも分かっていていろんなことをやるんだよ。わざと半分しか言わなかったりしてさ、意地悪なんだ。
サクラはユウスケがきたら元気の素をふりかけてやろうと思いました。しかしユウスケはきませんでした。
起きている時は武者があらわれます。眠っているとパイロットがあらわれます。でもユウスケはちっともこわいと思いませんでした。2人とも自分をさがしていて、まだ自分を見つけることができないのです。なにかしてほしいことがあるのかもしれない、でも、まだその時ではない、そんなふうに思いました。
しかしユウスケはこのことを誰にも話しませんでした。
「変なことを話して心配させては悪いから、それから、ヨワムシと思われるといやだから。それから誰かに話すと、ぜんぶおしま
いになってしまう気がするから」
サクラにだけはこう話しました。
「おばあちゃんには話すつもりだよ、この話はおばあちゃんに関係あるかもしれないってヨカンがするんだ」
鹿児島のおばあちゃんが家に泊まりに来ることになっていたのです。
「部屋をきれいにかたづけなさい。おばあちゃんに笑われるよ」
お母さんに言われてから3日たちます。いくらゴチャゴチャになっていても、どこに何があるかはユウスケにはわかっているのです。ユウスケはしぶしぶおもちゃ箱をひっくりかえして、はじめて見なれないものをみつけました。小さな銀のロケットです。
「これおばあちゃんにあげよう、おばあちゃんのものだ」
ユウスケは声にだして言ってみました。そしてきれいな紙に包んでランドセルの中にしまいました。
翌朝、道に出るとすぐに武者が馬を走らせてきました。ユウスケには力がわきおこっていました。それで武者に問いかけてみました。
「なぜ、ボクをさがすんだ。」
「うまれかわりをもとめて。」
武者にはユウスケの姿はまだ見えません。
「じゃあ、パイロットの人がそうかもしれないよ。今晩、あわせてあげるから家においで」
なぜかユウスケはウキウキしてきました。2人が会う場面を想像することができたからです。
その夜です。お母さんとお父さんはコーヒーを飲みながら話していました。このごろユウスケの顔つきがしっかりしてきたこと、あいかわらず学校の話はしないけれど、毎日なにか楽しそうな様子をしていること、いじめられているという心配はしなくてもいいかもしれないことなどです。
「おばあちゃんも心配していたから、きっと喜ぶよ。おばあちゃんは強い男の子が好きだから」
「おばあさんもお年だから、もう何回も来られないかもしれないわね」
「でも戦争の時代を生きのこった人はじょうぶだよ。ああみえても、若いころはすごいロマンスがあって、物語のような経験をしたらしいよ」
お母さんはにっこり笑いました。お母さんにもお父さんと知りあう前のロマンスがいくつかあったのです。
その夜の夢で先にあらわれたのは武者でした。ふだんよりおだやかな顔でしたが緊張感があらわれています。ユウスケをみることはできません。馬からおりてカブトをぬぐとあたりを鋭く見回しました。
やがて遠くからパイロットが壁からぬけ出すようにあらわれました。飛行帽をぬぐとまっすぐに歩いてきます。2人は互いに相手を見つめ合うことができました。ユウスケがおどろいたことに2人はまったく同じ顔をしていました。
「うまれかわり……ずっと生きていく」
武者が言いました。パイロットがため息をついて言いました。
「うまれかわり……生きていくしあわせ」
「生まれかわり?うそだよ、みんなみたい
に強くない。だってぼくは弱虫だから」
ユウスケは心に思ったことをそのまま叫んでいました。その時、2つの幻は、しっかりとユウスケを見ました。そこにはもう、大人になっていて豊かな心でみんなをつつみこむ成長したユウスケの姿がありました。
「わたしは死ぬのがこわかった、死んでしまうことにたえられなかった。わたしは自分を恥じている。私は弱虫だ。その思いにたえられない」
「わたしは死にたくなかった。残していく人のことを思うとたえられなかった。わたしは自分の思いに負けて、いつまでも悔いをのこしている。わたしは永遠に弱虫だ」
「しかし、わたしたちはよい生まれかわりをした」
「あなたがわたしの命をひきついでくれると思うと私は心があたたまる。すくわれる思いだ」
「あなたにすべてをゆだねよう。よろこびもかなしみも背負ってほしい」
「たのみます。」
2つの幻はうれしそうな目でにっこり笑って互いに見つめ合い消えていきました。ユウスケはふたたび眠りの中に落ちていきました。
秋分の日、おばあさんがきました。1人でお墓まいりをしたあと家についたのは夕方でした。すぐにユウスケはプレゼントを渡しました。
おばあさんは苦労してロケットのフタをあけると、すぐにとじてしまいました。そのあと長いこと何も言いませんでした。
翌日、おばあさんはユウスケといっしょにサクラの小屋にきました。おばあさんは道をよく知っているようです。サクラといちょうの木にあいさつして、しばらく思い出にふけっているようでした。そして、ユウスケの手をひいて歩きはじめました。ユウスケの手は子どものやわらかい手です。おばあさんの手も少ししめり気のあるやさしい少女の手でした。
サクラは思い出しました。大学にいたころ、よく年寄りのロバが話していました。
『わしの思い出話は聞き流してくれたまえ。本当に大切なことは胸の中にしまってあるんだから』
「おばあさんの写真だったのかな」
サクラは気にかかっていることを言いましたがイチョウの木はだまっています。
「おばあさんも同じ思い出があるのかな」
まだ、だまったままです。
「おばあさんはうれしかったのかな」
サクラはとうとうイチョウの木に聞いてみました。めずらしくすぐに返事がきました。
「とつぜん、ヤギの天使が降りてきて、ご希望なら子ヤギのころにもどしてあげよう、と言ったら、おまえは何と答えるかね」
あんまり深く考える問題ではないと思ってサクラはすぐに答えました。
「ことわります。」
イチョウの木が言いました。
「わしもことわる。苦労のし直しなんかごめんこうむる」
昼間なのに虫が鳴くようになりました。時々、まよったようにセミが鳴きます。
「虫の鳴きやむ時は死ぬ時なんだな」
サクラは「もののあわれ」を感じてしまいました。
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