12月のやぎの歌
凍った土 凍った木々
ヤギをつれた旅人の前に
凍った空 凍った風
ヤギをつれた旅人の後に
道はひとすじ 道はつづくよ
もつれる足 うなだれる顔
影もおとさぬ昼さがり
ヤギをつれた旅人は通りすぎて
すぐに
記憶の底の点になった
暗い十二月のある日
おおみそかの鬼
「山には鬼がいる。金色の目で全身が真っ赤だ。鬼は3本指のカギ爪で、人を食う、ヤギを食う」
大学にいたころ、ヤギの長老から聞いた話を思い出しました。ブルッと体がふるえました。ふだんよりずっと静かな夜です。どこかの家のテレビが紅白歌合戦をやっています。今晩はおおみそかです。小屋にもシメナワがはってあります。シメナワをはりにきた5年生のだれかが話してくれました。「お正月のしたくができてよかったね」
ネズミの3番目の子どもが出てきました。
「トウモロコシのつぶを食べていったら」
「ありがとう」
クリッとした目で答えたのがかわいくて、サクラの大好きなトウモロコシのツブをいい気分でたくさんあげました。
ときどき、風が遠くの峰にうずまいて音を立てていきます。しかし、学校の夜は静かです。
その時、正門のとびらがきしるいやな音がしました。
「だれだろう見てくるね」子ネズミが飛び出していった時、サクラは、もう一回、ブルッとふるえました。
「オニが来たよ。オニだよ。オニこわい」走ってきた子ネズミはそれだけ叫ぶと穴ににげこんでいきました。
スニーカーのようなやわらかい足音が聞こえてきました。サクラの小屋からはまだ見えませんが、1つだけあたりを照らしている外灯に髪の毛が逆立って、ぶあつくゆがんだ大きな影がうつりました。
「これはなんの匂いだ。ふん。覚えているぞ。ふん。ふん」
ひきずるように階段を降りる音がします。
「ウシでない、ウマでない、もちろんトリではない、イヌともネコともちがう」
サクラは、また、ふるえました。ベーと鳴きそうになるのをやっとおさえました。ただでさえ寒くて体中の毛がふんわりとふくれていたのが、今はもっとひどくふくれて、ヒツジのようになっています。シッポがピリピリ動きます。
「ブタでない、そうだとも、ブタはもっと、みっともない匂いだ。そんなことは当然だ。オレも知っている」
サクラは自分の体を見えなくする呪文をとなえました。
「ヤギだ、そうだヤギ。うまい乳。ニクはくさいが、ヨモギとにこむとごちそうだ」
サクラはそこで気づきました。においを消す呪文を知らなかったのです。まったく意味ないや、サクラはつぶやいておかしくなりました。とたんに自分の力がよみがえってきて、何が起きても自分で解決できるような気になりました。「困った時は笑うべし」大学でロバに教わった知恵を今ごろになって思い出しました。
リョウには前から1つの計画がありました。年がかわるところを見るんだ。幕がひらくように新年がやってきたり、空が一瞬、金色に光ったりとかいうことを期待しているわけではありません。ただ、その一瞬の夜空を見たかっただけです。年越しソバを食べて、家族におやすみを言って、ベッドにもぐりこんだ後、そっとお風呂場の窓からぬけだして学校に行くんだ。グランドの真ん中にねそべってカウントダウンをする、4月には中学生だから記念に何かしなくっちゃ、という単純な考えでした。
その時、黒い影は階段をおりきって、こちらの方に来るようです。おおげさににおいをかぐ音が聞こえます。その時、サクラはリョウに気づきました。リョウはヘイをよじのぼって、まっすぐに校庭をつっきって真ん中に走ってきます。黒い影の注意がそちらに向けられました。
外灯一つの暗い中で、紺色のジャンバーのリョウはちっとも目立ちませんでした。気配だけが動いてパサッという小さな音がして、シンとなりました。黒い影は首をふって目をこらしました。
オリオンが剣をふりあげています。北斗は冷たく光っています。なんとかしなくてはと、サクラはあせりました。おどろかすしかないな、そこで力いっぱいベーと鳴いてみました。シンとした中に、その声は、われながら力強いものでした。
「あっ、サクラ起きていたんだ」
リョウは、新年最初のあいさつはサクラにしようと思いました。影は子どもの姿を見て、少しためらいました。あまり、子どもが好きではなかったのです。
突然けたたましいオートバイの音が響いてきました。サクラは助かったと思いました。誰か助けに来てくれたのです。ギラギラするサーチライトが闇の中を右往左往しました。手荒く門が開いて赤いフルフェイスのヘルメット、派手に刺繍したジャンバーを着た2人の若い者が駆け込んできました。
「逃げたってムダだよ」手にバットを持った小さい方が声をかけます。
「毎日、このあたりをぶらぶらしていて、きたねぇヤツだ」
「ゴミバコをあさって、くさいんだよ。ゴミやろうめ」
「目ざわりなんだよ、死んじまえ」
黒い影はかたまってしまいました。ふるえているようです。
サクラにはわかりました。ホームレス狩り、鬼はあとから来た2人の方なんです。
大きい方がなにも言わずにバットでなぐりかかりました。グキッというようないやな音がします。サクラはあわてましたが、予想がはずれて心の準備がまるでできていないので、とっさに判断できません。
その時、小さな影が走り込んできました。
「やめなよ、かわいそうだよ」
一瞬、若い男の動きがとまりました。サクラは今だと思いました。
枯れススキの術、見るものすべてがおそろしい姿になる、ベー。
2人の目の前におそろしい怪物が現れました。大きな口の中には鋭い歯がガチガチなっていて6つもある目が自分たちをにらんでいます。実はこの前、映画で見たモンスターの記憶なのですが、2人には目の前にいるように思えたのです。
「子ネズミてつだえ」とびだした子ネズミは地獄の番犬「ケルベロス」に見えました。口から火を噴き、長いキバは血だらけです。
「ヘルメットをぬげ」もう2人は言われるままです。
「そのヘルメットをたたきこわせ」ためらってなんかいられません。
「服をぬげ、靴をぬげ、この小さい方から先に食ってやろう」
ギャッと叫んで2人は逃げ出しました。後も見ずに、オートバイにたどりつくと、それでも交通規則どおりにこわれたヘルメットをきちんとかぶって、すっとんで逃げていきました。あわてて逃げる2人の様子がおかしくてリョウは笑い出しました。サクラと子ネズミの笑い声も聞こえます。黒い影・ホームレスの人もようやく外灯の下に出てきました。何が起きたのかよくわかりませんが、自分が助けられたことは確かです。明るい所で、すごく恥ずかしそうです。
「リョウです」
「サトウです」
まじめに名乗りあうのがおかしくて、サクラもベーと鳴きました。
「おーい、リョウ」呼び声が聞こえました。
「あっバレちゃった。お父さんがさがしにきた」
「リョウ、やっぱりここか。お父さんのカンは正しかったぞ」
「お父さん、オートバイに会った?」
「あぶなくぶつかるところだった。なんというヤツらだ」
「このサトウさんが助けてくれたんだよ」
ウソですが、すらすら口から出ました。こう答えた方がいいかなと思ったからです。
「それはありがとうございます。夜中に外出なんかするからだ。とりあえず、家に来てください、寒いですから」
お父さんはホームレスの姿を見て、少し顔をしかめましたが、にこやかに言いました。
おかげでサトウさんは大晦日に年越しソバを食べて、お風呂に入ってヒゲをそり、お父さんのパジャマを着て、ぐっすり眠りました。そして、元旦、リョウがサクラにおめでとうのあいさつをしているうちに、お父さんがやせていたころの背広をもらって、オートバイの男の派手なジャンバーを着て、ふるさとに行く列車に乗ろうとしていました。5年ぶりの帰郷ですが、なんとかなるでしょう。
サクラはお正月の朝のお雑煮というのを食べてみたい気がしましたが、どうせ人間の食べ物ですから、いろいろな味付けがしてあって小雪の洗練された舌にはあわないだろうと思いました。草の葉の先と真ん中と根元では味がちがうんだ、それが分かるのはヤギだけだ、そう自慢してみました。
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