2月のやぎの歌
早朝に降り積む雪
無音無音無音
早餐をしたため
此の日に臨む
茅屋に蟠踞なし
白眼して世に対す
気は灼熱の大溶鉄
無音無音無音
朝早くから雪がふる
ムオンムオンムオン
シーンと静かだ
どこまでも
朝飯たべて落ち着いて
きょうは何かが
起きそうだ
狭い小屋でもわが世界
いやなヤツらは
ひとにらみ
やる気がムクムク
わきあがる
シーンと静まるわが心
ムオンムオンムオン
ミトリ婆
4時を過ぎるとあたりが暗くなります。校舎の影がヤギ小屋におおいかぶさって、空気が重くなるようです。遊び足りない子どもたちがまだ校庭を走っています。しかし、このごろ夜がぶっそうになってきました。変な男の人がうすぐらい道に立っていて小学生が通ると自分のオチンチンを見せるというのです。いわゆるチカンです。サクラは今、いっしょうけんめいに呪文を思い出しています。昔、中国で考え出された言葉で、そういう見たくないものを見えなくしてしまう呪力があります。だれにいつ教わったか、その時のまわりの様子はどうだったか、いくつかの手がかりをさぐりながら、ちょうどテストの最中にどわすれした答をさがすように考えています。ふっと分かりかけると、また、すぐに逃げてしまう、どわすれした言葉を思い出すというのは実にやっかいです。
みんなが帰った頃、女の子がすっとあらわれました。2年生のミツキがキャベツの葉を1枚持って近づいてきます。これからピアノの練習に行くのでしょう。
「ねえ、サクラ、いつも一人でさびしくない?」
「わたし、ごはん一人で食べるのいやだよ。サクラは今もつまらないよね。もうすこし、遊んでいよっと」
キャベツはおいしかったのですが、ミツキはさびしそうでした。パパは仕事がいそがしくてミツキとはメールで話すだけ。ミツキも学校が終わるとピアノとお習字と塾と、ほとんど毎日お出かけ。ママは私にいつも何かさせよう、させようとしていてちっとも話を聞いてくれない。でもママは一生懸命で、私よりがんばっているのだから、私もがんばらなくっちゃと思っている。それにママ、私をうんとほめてくれるので、私はもっとがんばらなくっちゃとあせってしまう。
みんなは子どもが家に帰ると「ただいま」といいます、しかしわたしの家では留守番している子どもがママに「おかえり」という。みんなは朝、学校へ行くとき「いってきます」という。しかし、わたしの家ではママが早くでかけるので、子どもが「いってらっしゃい」と言う。わたしの家はみんなと違うなとミツキは思っています。
校舎の方へかけていったミツキを見送って、サクラはふしぎに思いました。ママにとって子どもと一緒に遊ぶのは一番たのしいことなのに、その時間を他のことに使ってしまうなんて、それはよっぽど大事なことなんだ。きっとママはもっとさびしがっているだろう。チカンが出るって学校から知らせがあったはずなのに、パパもママも平気なのかな。
ミツキは白いコートと毛糸の帽子にピンクのマフラーをしてたいへんかわいく見えました。うんとかわいければチカンも出てこないだろうとサクラは思うことにしました。それより呪文が思い出せないのが残念です。
「今夜は雪だな」
みんなあたたかい場所にこもっています。イチョウの木もほとんど言葉を言いません。アゲハはサナギ、カマキリはタマゴ、アリは土の中であと1ヶ月がんばろうとしています。とうとう最初のひとひらの雪がまいおちてきました。もう外で遊べません。ミツキはサクラにサヨナラを言って門を出ていきました。
ところがそこに白い車がとまっていたのです。ミツキの姿が近づくと、すりぬけるようにドアから男が降りて、もぞもぞしています。おや、あの男はおかしいよ。
その時、サクラは呪文を思い出し、その次にはもう口に出していました。呪文は、そのチカン男にとんでいって、すぐに男がミツキに見せようとしたものは見えなくなってしまいました。
ちょうど、そこへ来たミツキが見たのは泣きそうな顔をして、あたりをキョロキョロしているおじさんでした。地面に顔を寄せてなにかさがしている姿は、コンタクトレンズを落としたパパにそっくりでした。
「なにを落としたの、いっしょにさがしてあげる」
サクラはまた、あせりました。この呪文を取り消す呪文を教わっていなかったのを思い出したからです
ところが、サクラが呪文を使って見えなくしたものは見つけられてしまいました。今日は2月8日、年に一夜だけ目一ツ足一ツの怪物が出てくる日でした。昔の人は、この日にはふだん使っている目カゴという大きなザルを軒先に置いておきます。目カゴのたくさんの目が一ツ目をにらみつけて追い払うのです。しかし、ミトリ婆はそれくらいではこわがりません。ミトリ婆は目一ツ足一ツの母親だと言われています。している仕事は子取りです。遊んでいる子がいなくなるのを神隠しといいますが、男の子はテングやグヒン、女の子はミトリ婆がさらったものです。身代金を要求するわけではありません。テングやグヒンは空を飛んだり、旅をしたりする時のパートナーにします。ミトリ婆はわけのわからないめんどうな仕事にこきつかいます。
チカン男の耳もとにしわがれた女の声が聞こえました。
「かえしてほしければ、その女の子をヤギ小屋の前につれてこい」
ミトリ婆は、それを見た人のお祖母ちゃんそっくりになります。男もいなかのバアちゃんに言われているように感じました。
男はミツキに言いました。
「ヤギ小屋があるんだって、そこに案内してもらえないかな。私は新聞社の者です。私は暗くなると目がよく見えないので手を
ひいてください」
ミツキはおじさんの言い方が本を読んでいるようなので少し気になりましたが、親切に手を引いてあげることにしました。
目一ツ足一ツは暗くなるまで現れません。木や草をバリバリ踏みつけてさっと現れ、窓から一ツ目でのぞきこみます。ミツキの家はマンションの8階ですが、それくらいの高さはへっちゃらです。じっと見られると、みんないてもたってもいられなくなって、家出する人もいるし、家族はバラバラになってひどいことになります。
今、ミトリ婆はこんなことを考えています。
その1 この女の子はピアノがひける、だから1日中ピアノをひかせて、優雅な毎日をおくろう。
その2 魔法をつかうヤギはめずらしい。敵か味方かはっきりさせて、それからどうするか考えよう。
その3 目一ツ足一ツに言って、この子の家族をバラバラにしてしまおう。
その4 ついでに、この男の家族もバラバラにしてしまおう。だから暗くなるまでこいつらを待たせておこう。
ミトリ婆はかしこそうで、かわいいミツキが気にいりました。肩をもませたりしたら気持ちいいだろう。ふわっと風にのって2人のあとをついてヤギ小屋に来ました。
サクラはびっくりしました。ミトリ婆の様子がおばあちゃんヤギに見えたからです。
「おまえさんが魔法を使ったのかい」やさしい声でした。
「どこで魔法を習ったのかね、おまえはなかなかすぐれた使い手のようじゃ」
じっと顔を見つめます。
「よかったらワシがもういくつか教えてしんぜよう、さればおまえの技はとびっきりのものになる。天下にかがやく魔法使いヤ
ギになるじゃろう」
その言葉をきいているといやといえないような、体の力がぬけていくような気がします。サクラはあやうく「はい」と言いそうになりました。
その時、ミツキが言いました。
「このおじさんがサクラに会いたいって。このおじさん、ものをおとしちゃったんだよ。一緒にさがしてあげて。こんなに暗く
なったからみつからないかもしれないね」
ミツキの声はやさしい、よくひびく声でした。今、ミトリ婆の魔法にかかっていないのはミツキだけです。
「サクラ、どうしたの。お返事して」
力をふりしぼってサクラはベーと鳴きました。ミツキの明るい笑い声がひびきました。
「サクラ、おばあさんみたい。いま眠っていたの」
サクラはハッと気づきました。こんなに体がだるくなるのは自然なことではない。なにかあやしい力がはたらいているんだ。四角いひとみをまん丸にしてじっとみると、やさしいヤギのおばあさんなんていません。ずるそうな目をしたイタチのようなおばあさんがいるだけです。
「あっ魔法をかけたな」
「この娘、よけいなことをしおって」
ミトリ婆はふところから小さな袋をとりだしてミツキの方へ投げました。一瞬、サクラは呪文をとなえて、その袋は見えなくなってしまいました。
「今度はどうだ」
ミトリ婆は小さなツボをサクラに向けました。今度はサクラの呪文もききません。立ち向かうものはツボの中にすいこまれてしまいます。
ミツキもおじさんも何がおこっているのか全然わかりません。ところが、その時、2人のスマホが同時になりました。ミトリ婆はびっくりしました、そして2人の様子を見てもっとびっくりしました。2人は同時にスマホをとって、今まで何も起きていないかのように、すごくふつうに話しはじめたからです。サクラもまったく無視されました。
「あっママ、きょうは早くかえるの、夕ご飯は手巻き寿司がいいな。」
「あっママ、きょうは早くかえるよ、うん、ケーキを買っていくよ。」
ミトリ婆はばからしくなりました。一切の魔法はとけて、ミツキは走って家に帰ります。おじさんは車に乗り込み走り出します。あっというまに2人ともいなくなってしまいました。
「ヤギどん、こりゃなんじゃね。」
「ちかごろ、人間はこうやって心のつながりを確かめるんです」
サクラも一度、スマホというのを使ってみたい気がしました。
「でもいいことは少しだけ、トラブルの種はたくさん。だから魔法の一種かもしれない。おばあさんさっき言った目一つ足一つさんに会いたいな」
「ありゃ不器用なヤツでね、にらむことしかできない。近頃はガラス窓に反射してなかなかにらめない。でもにらむとすごいぞ。おや、おまえさんの小屋にはアワビのカラがつるしてあるね。あいつはこれが大嫌いだから、この小屋には来ないよ。」
ミトリ婆はサクラが気に入りました。
「おまえさん、旅に出たくはないかね」
「わたしがいないと学校がこまるんだ」
「では、半分だけつれていこう。どうせうつらうつらしているんだから、おまえさんが半分いなくなってボーとしていても、誰
も気がつかないだろう」
「どのくらい時間がかかりますか、どこへ行くの」
「一晩だけだって十分だよ。世界中へ行かれるよ」
娘がいなくなっても気がつかない親がたくさんいるそうです。
「わしがせっかく連れ出しも、一晩くらいでは誰も心配しない、さがそうとしない、だから娘は連れ出されるのを喜んでいるよ。
目一つ足一つもやる気をなくしているよ。にらみつける前から家族がバラバラで、がんばりようがないってな。では、そのうち
にさそいにくるよ。」
ぼやきながらミトリ婆はゆっくり消えていきました。
空には冷たい真っ白な月がかがやいています。サクラはミトリ婆と一緒だと月にも行かれるのかなと思いながら、うとうとしはじめました。
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